「ああ、自分の想像力はちょっと足りなかったな」と感じるときも……日本で生きていて漠然と感じる恐怖を描く作家・佐々木譲の魅力

対談・鼎談

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樹林の罠

『樹林の罠』

著者
佐々木 譲 [著]
出版社
角川春樹事務所
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784758414340
発売日
2022/12/15
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「ああ、自分の想像力はちょっと足りなかったな」と感じるときも……日本で生きていて漠然と感じる恐怖を描く作家・佐々木譲の魅力

[文] 角川春樹事務所


佐々木譲

作家・佐々木譲による警察小説『樹林の罠』が刊行された。常に時代とともにアップデートされてきた〈道警〉シリーズの10作目は、札幌大通署の佐伯宏一を中心に、複数の刑事たちがコロナ禍で活躍を描いた作品だ。日本で生きていて漠然と感じる恐怖を描いていると語る佐々木さんに、〈道警〉シリーズの作品を軸に、SF的な要素を取り入れた作品や執筆方法について語ってもらった。

 ***

◆〈道警〉シリーズは、同時代を描くというコンセプトで始めた作品

若林踏(以下、若林) 最新作『樹林の罠』はコロナ禍の世界を佐伯達が駆け回る姿が印象的でした。

佐々木譲(以下、佐々木) 〈道警〉シリーズはもともと同時代を描くというコンセプトで始めた作品でもありますので、新型コロナウイルスの蔓延については描かないわけにはいかないだろうという思いで本作を執筆しました。作中の時期は二度目の緊急事態宣言が明けた後になっています。コロナ禍のなかでも、濃いドラマがいちばんありそうな時期だなと感じたからです。

若林 本作で最も感心したのは、コロナによって変わってしまった日常の風景が、主人公たちの生活を通してディテール豊かに描かれていることでした。例えば佐伯については、父親の介護とコロナ禍が重なったことで、ほとんど外食をしない生活が続いていると書かれています。

佐々木 これまでのシリーズで積み重ねてきた主人公たちの人生と、同時代で起こっているコロナの風景を上手く重ねて描こうという意識はありました。
佐伯が父親を介護するエピソードについては、前作より引き続き描こうとしました。介護は佐伯と同世代の人たちが直面している問題ですよね。『雪に撃つ』で佐伯と小島の関係に大きな変化が訪れましたが、これには「ともに人生を歩んでいく上で、介護の問題は大きな負担があるのではないか」という佐伯の不安が大きく関わっているわけです。ただ、佐伯と小島の関係がなぜ前作でああいう形になったのか、敢えてはっきりと書かなかったんですね。この辺りの話は、次作で明らかにしようと思っています。

若林 刑事のプライベートの話でいえば、新宮が前作で出来た恋人となかなか会えずに残念がる場面も描かれています。

佐々木 新宮刑事には「合コンに参加しようとすると、必ず現場に呼び出される」というお約束をシリーズでは書いてきましたが、「そろそろ彼にもきちんと恋人を作ってあげよう」ということで、前作『雪に撃つ』で晴れて彼女が出来たわけです。
しかし、彼女は病院勤務ですから、コロナ禍においては逼迫した医療現場にいるわけですよね。そのために、新宮はなかなか彼女に会うことが出来ない。

若林 そういったコロナ禍を象徴する光景が上手く織り込まれていますよね。シリーズファンにはお馴染みの「ブラックバード」も現実の飲食店同様に、困難な中で営業を続けています。

佐々木 そうですね。私自身も「ブラックバード」は思い入れのある場所ですが、本作ではマスターの安田にも変化の兆しが見られるように描きました。この点も佐伯と小島の関係と同じく、次作で描こうと考えています。


若林踏

若林 コロナ禍の風景とともに、本作で描かれる犯罪も現代を反映しているものだと感じました。ネタばらしになりかねないのでぼかした表現になりますが、ある犯罪手口の現代的な側面にスポットを当てているな、と。

佐々木 本作で描いた犯罪の側面というのは、ここ数年で特に見られるようになったと感じていました。ちょうど本作を書いた後に、これに関連するニュースが話題になったんですよね。それを見た時に「ああ、この作品で描いた事は非常に根深い問題なのだな」と強く感じました。

若林 そうした問題を切り取りながら、予見を描くことが出来るのがまさに現代日本を写し取る警察小説としての〈道警〉シリーズの魅力だと思います。

佐々木 自分としては将来を予見する意図で書いたわけではないのですが、結果としてそうなったということはありますね。例えば『雪に撃つ』では外国人の技能実習生について触れましたが、あれも作品が刊行された後くらいから、社会問題として更に大きく騒がれるようになったと思います。『警官の紋章』では洞爺湖サミットを取り上げるなど、これまでもシリーズでは現代の社会の動きを反映しようと書いてきました。それが後々起こった問題にも繋がっているのかな、と後から振り返って感じることはあります。

若林 予見的な作品という意味では、2022年8月に刊行した『裂けた明日』(新潮社)には戦火によって混乱した至近未来の日本が描かれており、ウェブ連載での執筆後のウクライナへのロシアによる侵攻を想起させる場面もありました。

佐々木 『裂けた明日』の連載の執筆が終わったのが2022年1月でした。ちょうどウクライナ侵攻の直前だったんですよね。でも、私はニュースでウクライナの映像を見た時に「ああ、自分の想像力はちょっと足りなかったな」と感じました。『抵抗都市』『偽装同盟』(ともに集英社)でも他国の占領について描きましたが、現実で起きた事と照らし合わせると「牧歌的すぎたかもしれないな」という気はあるんです。

若林 〈道警〉シリーズの『雪に撃つ』で描いた外国人労働者問題や、『裂けた明日』や『抵抗都市』で描かれた占領や内乱の風景など、近年の佐々木さんは人と人を分断するという事についてこだわって描かれているように思われます。

佐々木 分断について、というより、今の日本で生きていて漠然と感じる恐怖を描こうという気はあります。絶望とまでは言わないけれど、それに近いような感情については描いていきたいな、と。第20回日本ミステリー文学大賞を受賞した際、授賞式のスピーチで「これまで書いてきたものとは違うものを書きたい」という事を言いました。その時には『裂けた明日』や『抵抗都市』といったSF的な要素を取り入れたifの物語の作品構想はすでにあったんです。今はそれを一作ずつ丁寧に紡いでいるつもりです。

◆次回の十一作目で〈道警〉シリーズは第一期を完結させる予定

若林 なるほど。いっぽうで〈道警〉シリーズの警察群像劇や、『裂けた明日』の冒険活劇など、昔から培われてきたジャンルの骨法についてはこだわり抜いている印象も受けます。特に『裂けた明日』は、冒険小説の名作と謳われるネビル・シュート『パイド・パイパー』を連想させるロードノベルでした。

佐々木 ありがとうございます。でも、実は『パイド・パイパー』については特に意識はしていないんですよ。

若林 えっ、そうだったんですか。

佐々木 主人公に特別なスキルや特権的な立場を与えずに、目的地に向かって脱出していく話を描こうと思ったのが発端です。私は何か書きたい題材を見つけた際、それをサスペンスに寄って書くのか、冒険小説に寄って書くのかをまず考えます。〈道警〉シリーズの場合はサスペンスの方に寄せて書く作品ですね。そのうえで、それぞれのジャンルの骨法や様式には忠実に描こうとします。私の定義では、冒険小説というのは主人公がある地点から別の地点まで長い距離を移動する話であると捉えています。もう一つの大事な要素は“沈黙の契約”ですね。地位やお金のためではない、その主人公にとって大切な目的や約束を果たすために移動する。そして、最終目的地についた時、主人公に何らかの変化が訪れている。『裂けた明日』はそういう冒険小説の様式に則って書いたものです。

若林 ジャンルの骨法に対しては、海外ミステリやエンタテインメントを中心とした先行作品の影響を、佐々木さんの作品から強く感じます。ご自身でもそうした骨法を継承しようという意識が今も強いのでしょうか?

佐々木 それはありますね。先ほども話しましたが、ジャンルの様式には忠実であれ、という思いで執筆しています。そのジャンルを書き継いできた多くの作家たちが洗練させてきた様式でありますし、読者の側もその様式を楽しむという面があると思います。読んでいる途中では分からないけれど、読み終えた後に「ああ、これはあの作品の様式を受け継いでいるのか」と気付き、納得することも多いですよね。そういう楽しみ方を読者に提供できれば良いな、と思っていますし、ジャンルの様式に忠実に書くことは私自身も楽しく感じています。

若林 先行作品のお話が出てきたところで気になるのが、〈道警〉シリーズの今後についてです。〈道警〉シリーズが生まれる元となったマイ・シューヴァル&ペール・ヴァールーの〈刑事マルティン・ベック〉シリーズと同じく十作目まで到達しましたが、この後シリーズはどのくらいまで続くのでしょうか。

佐々木 実は次回の十一作目で〈道警〉シリーズは第一期を完結させる予定です。冒頭にも言った佐伯と小島の関係など、これまでの作品で宙づりになっていた出来事についても全て一区切りをつける形で次回作は書こうかな、と考えています。第二期以降の作品にも引き続き佐伯達は登場しますが、今とは違った形で活躍することになるでしょう。

若林 さらに壮大な大河警察小説シリーズになる予感がします。非常に楽しみです。

構成:若林踏 写真:長屋和茂 協力:角川春樹事務所

角川春樹事務所 ランティエ
2023年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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