ひょんなことから芸能界に進んだ名司会者の葛藤
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「勝負」です
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大学院に進むはずが、母の急死をきっかけに家の経済状態が危機的であることが判明、急きょ就職することに――。故・児玉清さんのエッセイ集『負けるのは美しく』はそんな逸話から書き出される。
手当たり次第に送った履歴書が、知人の手によりニューフェイスを募集していた東宝に渡る。面接には水着持参とあったが、忘れてきた児玉さんは仕方なくパンツ一丁に。〈一度も鍛えたことのない〉〈ヒョロリとした情無い身体〉をさらす羽目になった。面接官に「膝をきちんとつけた直立不動の姿勢はできないの」とO脚を指摘され、すかさず「O脚とは忘れ去ることなり」と返した。菊田一夫作『君の名は』の有名な一節「忘却とは忘れ去ることなり」をもじった、今でいうおやじギャグだが、審査員一同大爆笑。これが児玉さんの運命を変えた。
映画俳優となったが芽が出ず、テレビの世界に移る。以後の活躍はよく知られるところだが、本人としては複雑だった。人気女優の相手役として〈無味無臭〉の自分が求められていることを自覚するにつけ、挫折感が深まっていく。そして、いつしかたどりついた境地が「負けるのは美しく」。負け方にこそ人間の心は現われる、と思うことで心が静まったという。
芸能界きっての読書家で穏やかな知性派のイメージだった児玉さん。その内奥にあった葛藤は、映画からテレビへという流れと密接に関係している。昭和の芸能史としても面白い一冊だ。