『棕櫚を燃やす』
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『コメンテーター』
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[本の森 医療・介護]『棕櫚を燃やす』野々井透/『コメンテーター』奥田英朗
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
人生に必ず訪れる玄冬を静かに描く。野々井透の第三十八回太宰治賞受賞作『棕櫚を燃やす』(筑摩書房)はそんな小説だ。
視点人物である春野、その父・文雪と、彼女の妹である澄香の三人は、「土鍋みたいな」家族である。火にかけた土鍋には必ずひびが入る。それを手入れしながら使っていくのだ。「ひびのない完璧な形になると、壊れてしまうから」「ひびを大事にしながら過ごす」。そうした家族のありようについての物語でもある。
父が医師から余命一年の宣告を受けた時、「これからの一年を、わたしたちはあまさず暮らそう」と澄香は言った。体に棲みついた何かが父を解体していく。その変容はとてもゆっくりなのだが、不可逆なものでもある。投薬も行われているのだろう。「毎日少しずつ父とは別のひとのようになってゆ」き、何を食べても砂のように感じる日々も訪れる。そうした父を見て湧き起こる感情を春野は「むるむる」と表現する。既存の言葉にはしがたいのだ。
終焉の時を過ごす人と自分は、本当に「あまさず暮ら」せているのだろうか。それは看取りを行う家族の誰もが思う不安である。「三人で同じ場所にいて、ちゃんと同じものを見ているでしょう」と春野に言う澄香も、自分に言い聞かせているようだ。家族を喪うことの哀しみを温かい言葉で包み込むようにして作者は綴った。
今月のもう一冊は、奥田英朗『コメンテーター』(文藝春秋)である。人の話をまったく聞かないマイペースぶり、診察のたびにやたらと注射を打ちたがる変人精神科医・伊良部の傍若無人な活躍を描いた連作の第四弾である。『町長選挙』(文藝春秋)以来、なんと十七年ぶりの新作ということになる。
五篇が収録されており、表題作は新型コロナウイルス感染拡大中の二〇二一年に発表された。低視聴率に喘ぐワイドショー番組のスタッフは、起爆剤として精神科医の美女を起用するつもりで、誤って伊良部を担ぎ出してしまう。自身に勝る変人の看護師・マユミを伴ってカメラの前に現れた伊良部は、テレビ向きではない発言を連発する。だが、視聴率は良好だったのである。
伊良部は行動療法を患者に勧める。たとえば「ラジオ体操第2」の過呼吸症候群で受診した克己には、アンガー・マネージメントができていないのだから、町に出て迷惑行為をしている者を注意してこいと言うのである。ショック療法というものであろうが当然揉め事になる。
ひさしぶりに読んで感じたのは、伊良部が案外まともなことを言っているということだ。コロナ禍の澱んだ空気の中で何が問題なのかも的確に言い当てている。かつてのトンデモ医師も時を経て常識人になったのか。いや、伊良部が常識人に見えるほど世界が歪んでしまったのか。笑いながら私は考えた。