『藩邸差配役日日控』
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『藩邸差配役日日控(はんていさはいやくにちにちひかえ)』砂原浩太朗著(文芸春秋)
[レビュアー] 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
「人の死好まぬ」響く一言
人の心を打つ小説にはさまざまな形がある。藤沢周平の名作『三屋清左衛門残日録』(文春文庫)を彷彿(ほうふつ)させるこの短編集には、各編に心に残る一言が配されている。
<どれほど人出が多かろうと、結句、おのれ一人(いちにん)であることにも変わりはなかった>
<……ひとが死ぬのは好みませぬ>
<男という生きものの馬鹿(ばか)さ加減に、ほとほと嫌気が差しておりますのさ>
<――どこにも行き場のない者というのがおりまする>
こう記せばありふれた言葉のようにも思えるが、それぞれの物語の中では、深く心に染みいる響きを放っている。
里村五郎兵衛は神宮寺藩七万石の江戸藩邸で差配役を務める。差配役というのは、殿の身辺から襖(ふすま)障子の張り替え、厨(くりや)のことまで目をくばる「何でも屋」だ。ある日、世子(せいし)である10歳の亀千代ぎみが上野のお山で行方不明になった。
少しだけ皆と離れ、思うさま市中を散策したい。「これから家を継ぎ、妻など迎えては、ますます気儘(きまま)もならぬ。子どものいたずらですむうちに、な」と言い残して。すわっ「拐(かどわか)し」かと探索に走る里村に、江戸家老の大久保重右衛門は言う。「むりに見つけずともよいぞ」
どうして見つかったか。それ自体がおもしろいが、ささやかな「青い鳥」を求めて籠から飛び出した若君は、お楽しみになられましたかと問う里村に「それほどでもなかった」。そしてやるせなげな笑みを浮かべながら「おのれ一人」を実感したという。読んでいて粛然たる思いにとらわれた。自分はまだ少年の境地に達していないな、と。
藩内の主導権争いが絡み、絶体絶命の窮地に追い詰められた里村が選んだ道は、愛する人たちのため自分を犠牲にすることだった。「拐し」など5編からなる物語は最後に至って全く意想外の秘事が明らかになる。