100万部突破! 家康の天下取りを足軽の視点で描く、痛快な戦国足軽出世物語 「三河雑兵心得」シリーズ著者インタビュー(前編・後編)
[文] 双葉社
家康の天下取りへの歩みを足軽の視点で描いた「三河雑兵心得」シリーズが累計100万部を突破。
戦国時代の三河を舞台に、村を飛び出した17歳の茂兵衛が松平家康の家臣に拾われ、足軽稼業に身を投じるところから始まったシリーズは、3年目を迎え、11作品が刊行されている人気作だ。各方面で高い評価を得ており、「時代小説SHOW」文庫書下ろし部門や「この時代小説がすごい!2022年度版」文庫書下ろし部門で、第1位を獲得している。
汗だく血だらけ泥まみれになりながらも、しぶとく生き残る茂兵衛の奮闘ぶりに「平社員的には身につまされる」「日本版キングダムを目指してほしい」「酒を飲みながら読むのに最高!」など多くの声が寄せられている。
4年前にボツ覚悟で編集者に提案した企画が採用され、勝算なく執筆をはじめた作者の井原忠政さんに、創作の舞台裏と作品構築のこだわり、そして本シリーズに込めた想いを聞いた。
「どうせ通らないだろうけど」と紛れこませた企画書が
──100万部突破おめでとうございます。とても大きな数字ですが、率直なお気持ちをお聞かせください。
井原忠政(以下=井原):まずは、読者の方々に心より御礼を申し上げたいです。今後も一所懸命に執筆しますので、植田茂兵衛と井原忠政をよろしくお願いいたします。
井原は、褒められると素直に、謙遜なく喜ぶタイプなので、100万部突破とか言われると痺れますね。百年の怨敵でも抱きしめたい気分です。
──文庫書き下ろし時代小説といえば「江戸」を舞台にしたものがほとんどですが、「三河雑兵心得」は戦国時代ですね。冒険だったと思うのですが、初めから勝算はあったのでしょうか。
井原:思い起こせば2019年夏、双葉社の編集部に3編の企画書を提出しました。内2編は江戸が舞台でしたからね。数合わせで「どうせ通らないだろうけど」と紛れこませた企画書が「三河雑兵心得だった」という経緯です。ですから、勝算とかは、まったく考えておりませんでした。
──しかも、家康や信長などの有名人は脇役で、主人公はあくまでも雑兵。この設定にした理由は?
井原:そもそも、有名人物はすでに「書き尽くされている」わけですよ。よほどの筆力と名前のある作家でないと、特に三英傑は「二番煎じ、三番煎じ」と謗られる恐れがございました。一方で、それでも三英傑の人気にあやかりたい下心もある。両者を止揚したとき、辿り着いた結論が「家康の天下取りを、家臣の、それも雑兵の視点から描く」だったという次第です。
三英傑の中でも、あえて家康を選んだのは、なぜか?
──主人公である茂兵衛の人物設定もユニークです。乱暴者だがお人好し。槍に優れますが、首を取ることが苦手で、そのせいで出世の機会を逃すこともしばしば。歯がゆいですが、そこがまた魅力的です。
井原:ありがとうございます。茂兵衛には大義がありません。大それた理想とか、夢とかがない。もしくは希薄なんです。「己が周囲5メートルの範囲にいる家族や仲間を大事にしたい」それだけ。タイトルにつく「○○仁義」とは、ほとんど「5メートル四方の仁義」だったのですね。
ただ、大義のない人って、社会的な巨悪に対し無力だったりします。「俺の会社は酷いことしてるけど、俺は職場の仲間に誠実だから(許される)」そんな茂兵衛タイプばかりだったら、社会の改善はとうてい望めません。茂兵衛がお爺ちゃんになったとき、「自分達(家康と徳川家)の大義、あるいは無大義」を考える場面があっても面白いかなと考えています。
──豊臣家を滅ぼすやり方とか、えげつないですからね。ところで、いわゆる三英傑の中でも家康=徳川家を選んだのは何故でしょう。
井原:三英傑の中でも、あえて家康を選んだのは、ハッピーエンドだからです。文芸は「ハッピーエンドでないとダメ」とは申しませんが、「エンタメはハッピーエンドで終わらせるべき」が信条です。秀吉は老耄して晩節を汚したし、豊臣家は滅んでいます。信長は、非業の死を遂げた。後味、悪いです。その点、家康の死因は一説によるとテンプラの食い過ぎで滑稽です。幕府は265年も続き、なんなら御子孫は今も連綿と続いておられます。もうね、これ以上のハッピーエンドはないでしょう。これが迷うことなく家康を選んだ次第です。
──実に説得力があります(笑)。奇しくも今年の大河ドラマも家康ですね。あちらは悩み多き真面目な人物像ですが、「三河雑兵心得」で描かれる家康像は、初めは「富裕な百姓の若旦那」。次第に戦国大名として覚醒し腹黒い狸親父となっていきます。実に人間くさいです。
井原:テレビは1000万人に向けて制作されますから。歴史上の人物をあまり際物として描くのは難しいんじゃないでしょうか。家康も、悩みながら偉人に成長していかないと、1000万人の方々が納得しないでしょう。世の中、シャレが通じない方も多いですから。
その点、小説は10万人の方々に読んでいただければ大ヒットなので、多少とも個性的に、際物的に描くことも許されるのかな、と思っております。1000万人の家康ファンがいたら、100人に1人ぐらいは、家康が「ヒヒヒヒ」と笑っても納得してくれる変人が……もとい、寛容な方がおられるということです。松潤が大河で「ヒヒヒヒ」と笑ったら、そりゃもう、大騒動になるでしょう。
──なるほど。小説ならではの自由度の高さでしょうか。しかも、茂兵衛に次々と困難なミッションを命じますよね。笑顔で無茶ぶりする家康に、しぶしぶ承知する茂兵衛。毎度おなじみのこの掛け合いを楽しみにしているファンも多いそうです。
井原:そこはね。やっぱ主人公はドン底に突き落とさないとダメですね。悲惨上等ですよ。そのドン底から這い上がってくる振幅の大きさこそが、カタルシスなのだと思います。家康の茂兵衛に対する「大きな愛」を感じませんか(笑)。
──どうでしょう(笑)。そんな家康の「大きな愛」に応えるうちに少しずつ出世していく茂兵衛ですが、地位が上がる度に悩みも変わります。その変化もシリーズの読みどころではないでしょうか。
井原:シリーズのタイトルには「雑兵心得」とあります。茂兵衛自身が雑兵であった頃の「心得」とは、雑兵が戦場に赴くときの実践的な知識を指していたと思うのです。でも、茂兵衛も出世して雑兵とは言えなくなる。そうなるとタイトルの「雑兵心得」も意味が少し変化してきて「雑兵を率いる者の覚悟、心構え」を指すようになっているのかな、と。
そうなると、茂兵衛の悩みも当然移ろっていくはずです。雑兵の頃は自分と、足軽組の仲間が生きて帰ることだけ考えていればよかった。今の茂兵衛は300人からの人命を預かり、皆を生きた状態で家族の元に送り返さねばなりません。ま、大変ですよね。
──しかも次々と問題児を押しつけられます。
井原:確かに、茂兵衛には教育者としての顔もありますね。彼自身に自覚はないのだけれど、周囲が「茂兵衛に預けよう」と押し付けてくる感じです。ただ、指導スキルに優れた教師ではありません。戦場というギリギリの空間での実践を通じ、彼自身意図することなく結果的に教え導いているように思えます。幾度か足軽たちに「お頭についていけば、家に帰れるから」と言わせました。かなり気に入っている台詞です。