『もしニーチェがイッカクだったなら? 動物の知能から考えた人間の愚かさ (原題)If Nietzsche Were a Narwhal』ジャスティン・グレッグ著(柏書房)

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『もしニーチェがイッカクだったなら? 動物の知能から考えた人間の愚かさ (原題)If Nietzsche Were a Narwhal』ジャスティン・グレッグ著(柏書房)

[レビュアー] 森本あんり(神学者・東京女子大学長)

知性 動物学者の視点で

 ちょっと風変わりなタイトルだが、結論を先に言ってしまうと、もしそうだったらニーチェはもっと幸いな人生を送れただろう、ということになる。人間は知性をもったおかげで、他の動物にない生存の条件が一つ余分に加わった。それは「なぜ自分は存在するのか」についての信念だ、とニーチェは言う。動物はそんなものを必要としないし、そのために苦しみ悩むこともないが、人間は知性をもつが故に憂鬱(ゆううつ)になったり退屈になったりする。

 驚いたのは、「知性」の定義が存在しない、ということ。知性はポルノと同じで「見ればわかる」が、それを定義しようとした途端に困難に陥る。測定方法もない。SETI(地球外知的生命体の探求)のプロジェクトが始まったとき、知性とは電波によるコミュニケーションができることと理解されていた。この定義に従うと、人類は一九世紀末にマルコーニが無線通信を発明するまで知性をもたなかったことになる。人工知能(AI)の研究者たちの間ですら、知性とは何かという共通理解は未(いま)だにないらしい。

 著者は動物行動学者だが、自分自身の信念は恣意(しい)的で穴だらけだと言う。車を動かす時にガレージ前のナメクジを脇へよけるほど生き物を愛護するが、蚊は容赦なく殺す。庭先で飼っているニワトリは大事にするが、ベジタリアンではないのでチキンは食べる。そういう矛盾も人間にはつきものだ。人間は、知性のおかげで嘘(うそ)をつくのに、相手は正直だと思い込む。つまり、嘘つきのくせに騙(だま)されやすい。フェイクニュースに振り回されるのもそのためだ。

 ただし、著者は「知能」と「知性」とを混同しているように思われる。インテリジェントな動物や機械は存在するが、インテレクチュアルなのは人間だけである。その違いが、冒頭に紹介したニーチェの人間理解にある。だからAIは、どんなに進化してもインテレクチュアルになることはできないのだ。的場知之訳。

読売新聞
2023年8月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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