『励起 仁科芳雄と日本の現代物理学 上・下』伊藤憲二著(みすず書房)

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励起 上

『励起 上』

著者
伊藤憲二 [著]
出版社
みすず書房
ジャンル
自然科学/物理学
ISBN
9784622096184
発売日
2023/07/20
価格
5,940円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

励起 下

『励起 下』

著者
伊藤憲二 [著]
出版社
みすず書房
ジャンル
自然科学/物理学
ISBN
9784622096191
発売日
2023/07/20
価格
6,600円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『励起 仁科芳雄と日本の現代物理学 上・下』伊藤憲二著(みすず書房)

[レビュアー] 堀川惠子(ノンフィクション作家)/西成活裕(数理物理学者・東京大教授)/牧野邦昭(経済学者・慶応大教授)

 「日本の現代物理学の父」と呼ばれる仁科芳雄の新たな評伝が出ました。戦時中、陸軍の原爆開発に協力したと言われてきましたが真実はどうだったかという点はもちろん、科学の発展に果たした仁科の役割や科学と社会のあるべき関係など、テーマは多岐にわたっています。このため今回は異例ですが、3人の読書委員に異なる観点からこの本を評していただきました。

原爆開発の内実問う

評・堀川惠子(ノンフィクション作家)

 仁科芳雄の未公開史料1500点が発見されたとの報に接したのは2018年初夏。以来、本書の出版を心待ちにしてきた。2段組で上下巻1260ページの大著である。

 仁科博士といえば戦時中の「ニ号研究」つまり原爆研究で知られる。1943年、彼が陸軍に提出した報告書は、これまで原爆開発を可能と判断した証しと受け止められてきた。だが著者は膨大な書簡や証言から仁科の思考の変遷、研究の苦悩に深く分け入り、「定説」に大幅な修正を迫る。

 戦争末期、日本の海洋輸送は崩壊、あらゆる燃料資源が枯渇した。仁科は動力源として利用できる「核エネルギー研究」に傾注、予算も集中的に投入する。かたや原爆開発には経験ある人員も十分な予算も割かず、ウラン濃縮は非効率な方法に終始、完成は「はるか未来のこと」と見なしていた。むしろ「決戦兵器」の存在を、若い研究者を戦地に送らぬための「盾」とした形跡すらある。著者はほぼ無名の陸軍関係者らとのやりとりまで詳細に調べ、仁科が軍への借りを膨らませるさま、その内的矛盾を鋭く描く。

 8月6日、広島が一発の爆弾で壊滅。仁科は原爆かどうか見定めるため現地へ派遣される。出発前、開発競争に負けた自分たちは「腹を切る時が来た」と書いた。しかし、彼が広島で目撃したのは「死の街」、「真に生き地獄」、科学の進展がもたらした無辜(むこ)の虐殺だった。著者はその心情に深くは踏み込まない。だが敢(あ)えて想像したい。原子野に立った仁科は、開発を成功させる側に立てなかったことに逆に救われたのではないか。科学者の真の使命に、再起を決意したのではないか。翌春こう書いている。「戦争はするものではない。どうしても戦争は止めなければならぬ」。その意志は、戦後の日本学術会議創設へとつながる。

 原爆をめぐる諸問題は長く政治的に扱われがちだった。戦後78年、ようやく日本の科学史が「事実」を積み上げ、原爆開発の内実を正面から世に問うた。ただそれは全28章のうち3章分で、仁科の本願でもなかった。本書の全体像は別稿に譲る。

「知のインフラ」構築

評・西成活裕(数理物理学者・東京大教授)

 類を見ない科学史の本である。仁科の生涯に合わせて多様なテーマが語られており、日本の現代物理学の幕開け、科学と戦争、巨大科学のマネジメントのあり方など、どの角度から読んでも面白い。

 本書は新たに見つかった仁科の書簡を基に書かれた。書簡は論文とは違って本音が吐露されており、当時の真実がまざまざと浮かび上がってくる。特に量子論と相対論が誕生したことで、世界中で物理学の革命が起こっていた興奮が現場にいるかのように伝わってくる。残念ながら日本の物理学研究は当時かなり遅れていて、理論を研究する土台すら無かった。外国の追従で精一杯で、その成果に圧倒され、日本人に研究する能力があるのか、とさえ考える人もいた。

 こうした中で海外に飛び出し、強力な国際的ネットワークを築き上げた一人が仁科である。量子論の先駆者であるボーアやディラックとの親密な交流など、物理の学徒にとってはまるで夢のような話が続く。しかもこの交流が壮大な運命の糸で繋(つな)がり、戦後の日本の復興を縁の下で支える事になるのだ。仁科は戦争で自宅も実験設備も全て失ってしまった。このどん底の中で、敵国だった米国の知人研究者に助けられる話は、読んでいて心が震えてくる。

 忘れてはいけないのは、仁科は電気工学科出身という点だ。コペンハーゲン留学中にボーアと出会い、その時に物理学への転身を決めた。つまり彼は頭の中で工学と理学を自由に行き来できたのだ。それゆえ量子論で重要な理論公式を導出でき、かつ理論研究に必須な加速器の製作も手掛けることができた。こうした人物は、学問が細分化され過ぎた現代ではなかなか生まれないだろう。

 仁科自身はノーベル賞をとっていないが、湯川秀樹や朝永振一郎という後輩たちのノーベル賞には極めて大きな貢献をした。スポーツでも、金メダルをとった選手はもちろん凄(すご)いが、それも様々な人々の協力があってこそのものだ。仁科も、世界レベルの研究をするための体制や雰囲気づくりといった「知のインフラ」を日本に作りあげた人物として、人々の心に永く刻まれるべき人物だろう。

官民支援 研究基盤に

評・牧野邦昭(経済学者・慶応大教授)

 本書の書名「励起(れいき)」とは、量子力学において、電子が低いエネルギーの軌道から高いエネルギーの軌道に移行することをいう。仁科芳雄という物理学者の活動は明らかに日本の物理学など自然科学を活性化し励起状態にした。この励起を可能にした社会的な要因は何だったのか。重厚な科学史の研究書である本書をあえて経済(学)史的に考察してみたい。

 仁科は現在の岡山県里庄(さとしょう)町で生まれた。この地域は江戸時代以降、干拓による新田と塩田の開発が行われ、仁科家も塩田と深く関わった。干拓が人々を豊かにした地域で育った仁科は「環境は人を創り 人は環境を創る」をモットーとする。そして岡山人脈は仁科をしばしば助けた。世界に広がる仁科の活躍の原点には郷土との深いつながりがあった。

 仁科が入所した理化学研究所(理研)は科学研究の成果を事業化して理研産業団(理研コンツェルン)を形成し、その資金で風通しの良いオープンな「科学者の自由な楽園」を作り上げた。また、日本学術振興会(学振)や、血盟団事件以降に三井財閥が現代でいうメセナ活動の一環として設置した三井報恩会など、官民の資金助成制度も仁科の研究を支えた。社会や国家により研究の振興が重視されるようになったことが、仁科らによる宇宙線観測やサイクロトロンの建設などの「巨大科学」研究を可能にした。ただ、それが戦時中には仁科に軍事研究をさせる要因ともなる。

 もちろん研究への支援だけで最先端の研究はできない。明治以来日本は欧米の学問に追いつくことに必死だったが、全く新しい領域であれば欧米と同じスタートラインで競争できる。戦前の日本の物理学において量子力学(そして経済学では数理経済学)が発達したのにはこうした事情もあったといえる。

 郷土とのつながり、科学研究を重視し支援する社会の動き、物理学の世界における新たな分野の興隆といった諸条件の結節点にいたのが仁科であり、それゆえに仁科という存在が「励起」を可能としたといえるだろう。

 日本の科学の励起を可能にした要因は現代でも存在しているだろうか。日本の学術研究がエネルギーを失わないようにするためにも、本書は多くのヒントを与えてくれる。

読売新聞
2023年8月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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