『恋の幽霊』
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かつて四人は全員が恋していた。そして“暴走”の十五年後――
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
こんな文章を読んでしまって自分は元にもどれるんだろうか、と思う小説がある。『恋の幽霊』がそうだ。
しき、土、京、青澄。四人の高校生男女がいた。全員が全員のことを好きだった。四人は溶けあうように、自他の境界すらあやうくなった。青澄は言う。「混ざってる、わたしたち?」。
土はあるとき思う。「みんなすきだ。四人でいっしょになりたい。おなじ身体で、おなじ言葉で、ひとつのなにかになりたいよ」。ふれあうこと、つらいかなしい記憶がうつりあうこと。猛烈に回転するなにかから遠心力で飛ばされるみたいに暴走が起きる。
それから十五年後、京の呼びかけで久しぶりに集まることに。京は会社の男性上司といびつな関係をつづけている。青澄は、なにかと弟ばかり優先する母と、決して干渉しようとしない父のもとに育ち、いまでも親の束縛から逃れられずにいる。
しきは両親を病気と事故で亡くして鬱になり、学習塾の事務を退職し、曖昧な自殺願望をもっている。土は八人きょうだいの貧しい家庭に育ち、兄姉の「援助」で一家はなんとか暮らしていたという。
四人が交替で語り手になって出てくるが、均等ではない。そこにも秘密がある。各パートは三人称で始まって一人称になったり、“わたし”“おれ”と引用符がついていたり。
かつて四人は、恋に「身体を乗っ取られるみたいにもう戻れない所まで」いってしまった。土の元翻訳家の祖母にいわせれば、ぜんぶの言葉は翻訳で、ひとにはそれぞれ文体があり、「無理になにか装おうとしたら、土の文体はこわれちゃうの」と。
再会の後にも“衝撃”や“事件”は起きる。思えば、それはせつない後産のようなものかもしれない。そうして恋の身体は再生するのかもしれない。「恋心なんて、あきらかにヘンで、錯覚で、第五の季節にいるみたいにSFだとおもう」とはしきの言葉だ。恋はSFか……。そうか、すべてが腑に落ちた。