『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジーダ 対談「合言葉は《キャンプ》――ドリアン、ソンタグ、美輪明宏」〈前編〉

対談・鼎談

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千夜千冊エディション 性の境界

『千夜千冊エディション 性の境界』

著者
松岡 正剛 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784044007546
発売日
2023/09/22
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジーダ 対談「合言葉は《キャンプ》――ドリアン、ソンタグ、美輪明宏」〈前編〉

[文] カドブン

古今東西の膨大な書物を読みこなし、「編集工学」を提唱してきた松岡正剛さんのブックナビゲーションサイト「千夜千冊」をテーマごとに再編集した文庫シリーズ「千夜千冊エディション」。29冊目となる『性の境界』では、LGBTQ+をテーマに人間の「性」の本質に切り込みました。口絵写真のモデルとなっていただいたのは、ドラァグクイーンとして大活躍中のドリアン・ロロブリジーダさん。お二人の対談の模様を〈前編〉〈後編〉にわけてお届けします。

写真:寺平賢司(松岡正剛事務所)

日時:2023年8月2日
於 :松岡正剛事務所 本楼

『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ...
『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ…

■『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念
松岡正剛×ドリアン・ロロブリジーダ 対談〈前編〉

■日本人としての「性の境界」

――ドリアンさん、本日は松岡正剛先生の新作『千夜千冊エディション 性の境界』の口絵撮影にご協力いただきありがとうございました。おかげさまで素晴らしくド派手な絵面になっておりますので(笑)、読者の皆様にもお楽しみいただければと思います。

『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ...
『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ…

――お二方とも話題は尽きないことかと存じますが、今回の対談で、昨今の情勢についてお考えになっていることや、ご自身がどういった経緯で現在のご自身の在り方をお示しになるようになったかなどのお話をお聞かせいただけますと幸いです。

 まずは、ゲラを読んでいただいて、ドリアンさんのご感想や、特に気になった章などがございましたら教えてください。

ドリアンさん:
 ジェンダーや性について、科学的な「性とは何か」、いわゆるサイエンスの切り口からこれほどまでに精緻に書かれているものは読んだことがなくて、その点がすごいなあと感じました。自分としては特に、第三章・第四章がぐっときたというか、楽しく読ませていただきました。
 あらゆる文化・地域にLGBTといわれる人々が息づいてきた歴史の中で、それがその時々でどう捉えられてきて、どういう形で、あるいはどういった文脈で理解されてきたのかということを示されていたのも興味深かったです。
 自分も、LGBTの歴史についてはざっくりと学んできたつもりだったのですが、千夜千冊のように「本」という切り口で読み解いていくというのが、とても楽しい体験でした。

『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ...
『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ…

松岡さん:
 ドリアンさんはドラァグクイーンとして活動していくうえで、日本人であるということは、気になる? やりにくい? それとも、もう関係なくなってきましたか?

ドリアンさん:
 こういったジェンダーやセクシュアリティの話について、欧米はどうだっただとか、かたやアフリカやイスラーム圏はどうだったとかいう話をいろいろ見聞きするなかで、日本は昔から異性装や宗教、お稚児さん文化など、性に開放的な歴史がありつつも、近現代以降で厳しくなってきたという背景がありますよね。
 かといって、日本という国がLGBTQの人々にとって、格段生きやすくも、格段生きにくくも、今のところはないかなという印象はあります。

松岡さん:
 ようやくそういう時期になってきたんでしょうね。
 ぼくがLGBTQ、それから+にまで関心を持ち始めたのは、10代の終わりくらいです。稲垣足穂の「A感覚」、いわゆる少年愛の美学について読んで、衝撃を受けた。それから、オスカー・ワイルドやテネシー・ウィリアムズ、カポーティ、プルーストだとかのゲイ文化・ゲイ文学に触れていったんですが、それと同時に、ぼくの周辺にはアヴァンギャルドなアートをやる連中がいっぱいいた。彼らは果敢に、性に関する固定観念を破るような表現に挑戦してました。ただし、当時はまだまだ近現代以降につくられてしまった性規範のようなもの、そういう硬い「日本」というものが、いい意味でも悪い意味でも邪魔をしていた。一方で、歌右衛門や玉三郎のように、伝統歌舞伎の世界にすばらしい女形(おやま)が登場してきてたんだけど、彼らの表現とアヴァンギャルドが結びつくというようなことはまだまだなかった。

『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ...
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 そういう中で、ピーター(池畑慎之介)が出てきたり、そのピーターが「ゲイボーイ」役を演じた『薔薇の葬列』という映画ができたりして、「こういう押し出し方もいけるな」と思うんだけれど、そういうものはどこかやっぱり「洋物」ぽい。ぼくとしては、日本の女形のもつ型や芸と、洋物のおもしろさの両方を持つ「T」にずっと期待があった。たとえばツバキハウスのようなクラブシーンでは、祇園や新橋の芸者さんもけっこう遊びに来ていたんですよ。彼女たちがもつ粋や艶が、「T」と混じり合ったりしていってもおもしろいんじゃないかと思ってました。
 そうしたら、最近になってドリアンさんのことを知った。「この人こそ、ひょっとしたら、全部一緒にできるんじゃないか」と思いましたね。さっき(撮影中)、ドリアンさんが高笑いしながらポーズしているのを見て、本当に感心しましたよ(笑)

ドリアンさん:
 なんででしょう(笑)

松岡さん:
 女装したヤマトタケルみたいだった(笑)。いよいよ日本にそういうものが似合う人が出てきたなと思った。それで、最初にドリアンさんに、「日本」について訊いてみたんだけどね。

『千夜千冊エディション 性の境界』刊行記念 松岡正剛×ドリアン・ロロブリジ...
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■当事者であるということ

ドリアンさん:
 「ゲイ当事者である」ということを切り口に言うと、宗教的なバックボーンから同性愛が迫害されることもあまりないので、日本では表立っては「ゲイである」ことで殺されることは非常に少ない。ただただ「無視をされ続けてきた」ということだと思うんです。いない者として扱われてきた。
 表立って迫害されなかったことを論拠に「日本には差別はなかった」と言う人たちもいると思うんですけれど、ただ一方で、無視をされ、いない者だと扱われることは、一つの形の迫害であり差別であると思います。
 今、様々な形でどんどん声が上がっていて、仕組みやルールが当事者にとってもアジャストできるようになっていくフェーズだとは思うのですけれど、これからはバックラッシュが激しくなる時期なんだろうなとも感じています。なんだかおもしろそうだなと皆が思う時期を経て、今度はアレルギーのほうが強くなっていく時代なのではないかと思うんです。

松岡さん:
 少年時代や青年時代に虐められたりしたことはあるの?

ドリアンさん:
 わたし、ないんです。ゲイであることで悩んだことがなくて。

松岡さん:
 きっとそうだと思った。やっぱりニュースターだ。

ドリアンさん:
 ただ、自分がそう思えるのも、先人たち、自分の上の世代の人たちが闘って居場所を作ってきてくれたおかげで、それは絶対に忘れないようにしたいと思っています。だからこそ、これまでの文脈や歴史を勉強して受け継ぎつつも、今までとは違うかたちで生きる在り方を発信していくのがよいのではないかと思います。

松岡さん:
 いつ頃カミングアウトをしたの?

ドリアンさん:
 最初にヘテロ、いわゆる「ノンケさん」に自分がゲイであることを告げたのは高校3年生のときです。その時にはすでに近所のゲイのお姉さんがた7、8人で仲良く遊んでいたりして、「ゲイってなんて楽しいんだろう!」「ゲイのほうがよくない~!?」と思っていたので、カミングアウトするときも「いいでしょう! アンタたちつまんないわねえ~!」くらいの気持ちでした。

松岡さん:
 たしかにゲイのほうがおもしろい。あと、才能が出やすいよね。ゲイのデザイナーや音楽家たちのように独特なセンスを発揮する人も多い。ぼくがよくお会いしていた武満徹さんなんかは、ゲイじゃないんだけどゲイが大好きでしたね。彼は「ゲイの才能」のようなものをゲイ以外の者が出せるかという問いを持っていたんじゃないかと思う。
ゲイの人たちは、タレントというか才能のようなものが、不思議だけれど、出やすいんですよ。それはなぜなんだろうね。

ドリアンさん:
 なぜでしょう……もしかすると、マイノリティゆえになせることなのでしょうか。

■LGBTQであることの意味

松岡さん:
もちろん差別への反抗力がそうさせたという面もあるかもしれないけれども、もっと本質的なことがあるように思うんです。
 ひとつ言えるのは、ぼくは複製が作れるというのが才能だと思っているんですね。オリジナリティよりも複製のほうが価値が高いとさえ思っている。今回の『性の境界』でもそういうことを意図して、そもそもなぜ生物界にメスとオスが生まれたのかという話から始めました。生物はもともと遺伝子を複製しつづけて子孫を残すんだけど、オスとメスができたことで、遺伝子を減数分裂させて組み換えしながら複製することになった。この、組み換えしながら複製をするというのが、ぼくの専門でもある情報編集の根本なんですね。
人間の文化もそうだろうと思う。プラトンでもアリストテレスでもゾロアスターでも、言語を用いて情報を伝達するということは、レプリケーション、複製をしながら、トランス(越境)していくわけですね。
それとともに、ぼくはつねづね、「私」というのは一つではない、一つにすべきではないと考えてきました。ぼくが校長をつとめているイシス編集学校でも、入門すると最初に「たくさんの私」について考えてもらうというお題を課しています。「たくさんの私」状態に一挙に入っていくためにも、LGBT的なるものが有利だろうとぼくは思うんですよ。残念ながら思想や学問にはそれができない。
ぼくは学問や思想も嫌いじゃないんだけれども、どう見ても遅い。それに対して特にGとLは速い。とくにその時に、GとLがトランスジェンダーしている状態のモード(ファッション)を持つかどうかがすごく大きい。その点、ぼくはやっぱり歌舞伎の女形のもつ「型」なんかは、レプリケーションの芸としても素晴らしいと思うけれど、あれだけでは「全才能の発露」じゃなくて、「限定された伝統様式での発露」にとどまってしまう。
ぜひ、そういう価値や文化のレプリケーションという点で、LGBTからもっともっと発露していってほしいという期待があるんですね。

ドリアンさん:
 ただ、いわゆるLGBTQ+と言われる方のなかでも、才能豊かな方もいらっしゃれば、ごくごく平凡な方もいらっしゃって、個人的にはその点はヘテロセクシュアルの方たちと一緒だと思っています。「LGBTQイコール才能豊か」という方向性でいくと、「才能豊かじゃないから、自分はLGBTとして価値がないのではないか」というふうに、生産性の話ともリンクしてきてしまうのではないかとも思っていて。
 どんな人でも、幸せに生きる権利があるし、それがLGBTQというだけである、と思うことにしています。

松岡さん:
 おお、自由だなあ。

ドリアンさん:
 その一方で、ではなぜLGBTQが人間のなかに一定数生まれるのか? 統計上5~8%の確率で現れてくるのか? これについてまだ明確な答えは出ていなくて。自分としては、種としてのリスクヘッジのためではないかと考えています。人類に何かあったときに、LGBTQといわれる人たちが何かを引き取るのか、細胞なのか遺伝子なのかわかりませんけれども、効力を発揮するのかなあと。

松岡さん:
 それもあるし、かつてもそうだったかもしれないね。
 ぼくがずっと考えているのは、おそらく、生物としての人間は、最初は男性性とか女性性があまりはっきりなかった。どちらかというとアンドロジーナスな、両性具有的な、トランスジェンダー的なものだったと思うんですよ。
 ところが父権社会になると、両性具有的なものは抑圧されてしまった。なぜなら、父権社会というのは、権力とか財力とか兵力をめぐる交換社会だから。女性すら交換の道具にしてしまう。こうなると、両方の性をもっている両性具有という存在は邪魔になってしまう。だから抑圧されてしまったんだと思うんですね。
 でもいくら抑圧しても、イマジネーションやヴィジョンのなかでは両性具有的なものはずっと生き続けてました。たとえばビンゲンのヒルデガルドとして知られる修道女が残している宗教画や、仏教者たちや瞑想者たちが描いたヴィジョンを見ていくと、両性具有的なものがかなり出ています。
 そういうものが、やがて演劇とかダンスとか音楽とかファッションとかいった形で、ウワーッと持ち出されてきてしまった。日本の江戸時代にはかなり盛んになりましたし、ヨーロッパのロココ文化とか、中国でも京劇みたいなものとして、いろいろ出てきた。

ドリアンさん:
 アートや宗教、シャーマン的なことのような「特別枠」、一般とは違うものとして押し込めていたものたちがだんだんと一般にまで広まってきたのが今、ということでしょうか。

松岡さん:
 流れとしてはそうですね。

ドリアンさん:
 特に日本では、ゲイやトランスジェンダーの方というのは、エンターテイメントの世界で成功してきたイメージがあるんですね。戦後でも、まずは吉野や青江(編集注:いずれも戦後のゲイバーの走り)の水商売から始まって、キャバレー文化があって、ドラァグクイーンのようなものも先んじてフィーチャーされてきました。その源流を辿ると、封建的な施政者・体制側の人たちが敢えてそちらに押し込めることで体制を成り立たせていたということなんですね。

松岡さん:
 道化のようなものとして扱うとか、仮面のようなペルソナを付けてもらってピエロにするとか、いろんなことをしてきましたね。

〈後編〉に続く

■プロフィール

松岡 正剛(まつおか・せいごう)
編集工学研究所所長、イシス編集学校校長。1980年代に情報文化と情報技術をつなぐ方法論を体系化し「編集工学」を確立し様々なプロジェクトに応用。2000年「千夜千冊」の連載を開始。同年、eラーニングの先駆けともなる「イシス編集学校」を創立。近年はBOOKWAREという考えのもと膨大な知識情報を相互編集する知の実験的空間を手掛ける。また日本文化研究の第一人者として「日本という方法」を提唱し独自の日本論を展開。著書に『知の編集工学』『擬』『世界と日本の見方』『国家と「私」の行方』ほか。

KADOKAWA カドブン
2023年09月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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