『ハンチバック』
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強烈な屈託が埋もれた“当事者”を掘り起こす
[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)
物語は、ことさら下卑たオッサン視点でつづられていくハプニングバーの体験記事で幕をあける。だがその記事が実際に執筆されている空間は、人工呼吸器のアラームが鳴り響くグループホームの一室で――。
現在6刷23万部。今年七月に芥川賞を受賞した市川沙央氏の『ハンチバック』は、筋疾患の難病である先天性ミオパチーを患う重度障害者の女性が主人公の小説だ。作者自身が同じ病気により人工呼吸器と電動車椅子を使用する“当事者”であることがメディアで大きな注目を集め、インタビューでも引っ張りだこの状態が続いている。
一方、その市川氏自身は笑いを交えつつも「文学の普遍性を壊した」などとネット上で叩かれたことを明かした。そうした批判に対して異議を唱えるのが実際に売り場で読者に本を届けている書店関係者だ。ある人は「たしかに“障害の当事者”という作者のプロフィールをとっかかりに売れていく面は否定できませんが、内容自体は読む人それぞれの生活と地続きの問いが多い」と熱く語る。「独自の身体性に基づいた小説であると同時に、ひらかれている物語だからこそ売れ続けているのだと思います」とは担当編集者の弁だ。
例えば、身体的に出産も育児も諦めざるを得ない主人公は、妊娠と中絶という行為に対して強烈な屈託を抱えている。その屈折したありようは、あくまで健常者目線でデザインされた世界に対する反駁であると同時に、本来そこに横たわっている微細な困難のバリエーションを塗りつぶして“普通”という幻想を無批判に受け入れ押し付けあってきた社会に対する、それこそ普遍的な文学の問いを含んでいるのだ。
本作のハイライトのひとつに、紙の本が無理なく読める健常者を前提とした読書文化の特権性を穿つ場面がある。そのスタンスを体現するように、電子書籍版はもちろんオーディオブック版もいち早く発売された。こちらもレビューサイトへの書き込みが多く、ニーズの高さが窺える。
誰もが社会に参画している“当事者”であることを鮮やかに示すベストセラーの誕生だ。