『君が手にするはずだった黄金について』
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恥や弱さを浮きあがらせた小川哲の「黄金」とは何か
[レビュアー] 千早茜(作家)
小説家が苦手だ。どうせ嘘つきだから。
この「どうせ」に期待と弱さがある。つまり、私は期待を抱えたまま人と関わることが好きではないのだ。よって、同業者と話すとどうも落ち着かないし、小説や漫画に小説家が登場すると居心地が悪くなる。自分自身も小説家のはずなのに。
私も本作の主人公「小川哲」と同じように小説家と名乗ることにとまどいがある。小説を書いて生活しているのに、「もの書きです」なんて煮え切らないことをよく言っている。故に、この連作短編のあちこちで首肯した。「小説家の鏡」を読み、とあるイベントで「小説を書くときに一番大事にしていることは?」と訊かれたことを思いだした。私は「自分に嘘をつかないこと」と言いながら、そんな自分を胡散臭いと思った。まさにオーラを読むという占い師のよう。対談相手の先輩作家も「自分を守るための嘘を書かないこと」と答え、二人で「嘘をつく職業なんだけどねえ」と苦笑した。
小説を書く自分は何者なのか。自分は偽物ではないと言い切れるか。その疑問はふとしたときにわいてくる。虚構をつむぐ私は本書にでてくる、うろんな人々を嫌悪しつつも嗤うことができない。ひどく虚しい気持ちになる。けれど、専業小説家になってからは、周りの人に「なんでそんなこと考えるの」と呆れられることはなくなった。少なくとも、好きに生きられてはいる。
この連作短編にはさまざまな弱さが描かれている。書くという行為は自らの弱さや恥ずかしさを浮きあがらせる。一文書くごとに物語の可能性は狭まっていく。書かなければ、可能性は無限のままで、自身の何も露呈することはない。それでも、書いてしまう。なぜか。「小川哲」の現時点での答えがある。
作者の小川哲は直木賞を同時に受賞した同業者だ。初めて会ったのは選考会の後の記者会見場裏で、彼は暗がりで選考委員の選評をじっと聴いていた。私も並んで聴いた。選評が終わってから挨拶をした。真面目な人だと思ったのに、話すと人を食ったような感じがして面白かった。私が知っている小川哲と本書の「小川哲」はどこまで同じなのか。興味にかられて読んだが、途中からどうでもよくなった。
書くという行為は恥や弱さを浮きあがらせるが、奇跡も起こす。本書にもあるように、言語によって構成された本が言語を越えることがあるのだ。いつか自分の物語も黄金色の奇跡に輝くことがあるかもしれない。そう信じて、私は書き続けている。