私が恋しいと思っていたのは

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藤十郎の恋・恩讐の彼方に

『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』

著者
菊池 寛 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101028019
発売日
1970/03/27
価格
649円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

私が恋しいと思っていたのは

[レビュアー] 北村薫(作家)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「化粧」です

 ***

 夜目遠目笠のうち―という言葉があります。はっきり見えなければ美しく感じられる、というわけです。そこに想像力の化粧があるといってもいい。想像力は創造力でもありますね。

 一方、舞台のメークは、俳優を別の人間にする仮面ともいえます。

 菊池寛の短編集『藤十郎の恋・恩讐の彼方に』に収められた、表題作ほどには知られていない作品「ある恋の話」は、〈私の妻の祖母は〉と始まります。かつては蔵前小町と呼ばれた美しい人でした。十七で、千万長者の家に嫁ぎましたが、その翌年に相手が急死。生まれた子供を連れて別居。以来、お金には困らず、穏やかな暮らしを続けてきました。

 その祖母の、昔がたりが面白い。娘がもう五つ六つになった頃からは、物見遊山にも出掛けるようになります。浅草の守田座の芝居に行くと、染之助という若い役者が出てきた。夢に見るような美しさ。この人の演技が大げさでなく、真実味があり、胸に響くものだった。型通りでないところが、客にはうけないようだが、それだけに祖母の思いはつのる。

 ところがある日、たまたま素顔の染之助と出会います。現実の彼は、〈卑しくて下品〉な小男でした。

〈私が恋しいと思っていたのは〉舞台の上の虚像だった―と思い、守田座へ行くこともなくなりました。

 さて、どうなることでしょう。

 新潮文庫版には、吉川英治名義で作者の書いた解説もついています。

新潮社 週刊新潮
2023年11月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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