「不倫はずるい!」と言う前に…複数の人と恋愛関係を結ぶ“ポリアモリー”の実態を探ったルポ

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もう一人、誰かを好きになったとき

『もう一人、誰かを好きになったとき』

著者
荻上 チキ [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784103553816
発売日
2023/11/29
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「不倫はずるい!」と言う前に

[レビュアー] 吉川トリコ(作家)


ポリアモリーの実態とは?(画像はイメージ)

 相手の合意を得たうえで、ふたり以上の恋人やパートナーを持つ――そのような関係性をポリアモリーという。

 このポリアモリーとして日本に暮らす当事者100人以上に取材・調査して、その実態を探ったルポルタージュ『もう一人、誰かを好きになったとき―ポリアモリーのリアル―』(新潮社)が刊行された。

 不倫や浮気とは何が異なるのか? 嫉妬の感情は生まれないのか? 子育てはどのように行うのか? 社会のなかで抱える困難とは何か?

 賛否両論、さまざまな意見や疑問が巻き起こるであろうポリアモリーを取材した本作について、世間で当たり前とされる女性像や家族像などを社会問題として言及してきた作家の吉川トリコさんが綴った書評を紹介する。

吉川トリコ・評「「不倫はずるい!」と言う前に」

 昭和52年生まれの私は、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの産湯にどっぷり浸かり、恋愛至上主義バブルの時代に多感な思春期をすごした。花やハートの飛びちる少女漫画を浴びるように読み、浮かれあがった男女の恋愛の様子を描いた映画やテレビドラマを見ては胸をときめかしていた。

 少女漫画にはたいてい黒い髪の男の子と白い髪の男の子が出てくる。主人公は二人から熱烈な求愛を受け、二人のあいだで揺れ動き、最後にはどちらか一方と結ばれる。どうしてどちらかを選ばなければならないんだろうと疑問に思ったことは一度もなく、気づいたころにはそういうものだと思い込まされていた。そういうふうになっているから、そういうものなんだと。

 世界中で紡がれてきた三角関係の物語もだいたい似たようなもので、どちらか一方と結ばれるか、どちらも選べないままどちらともお別れするか、死別エンドぐらいしかヴァリエーションがない。だから、中学生のころに読んだある少女漫画の結末が、男二人(もちろん黒髪と白髪)と女一人で重婚するというものだったとき、とんでもない衝撃を受けた。そんなことしていいんだ、そういうパターンもあるんだって。本書『もう一人、誰かを好きになったとき ポリアモリーのリアル』を読みながら、あのときの衝撃を何度思い出したことだろう。

 本書は、さまざまな当事者へのインタビューをもとに、ポリアモリーに関する調査や研究論文にもふれ、現在の日本におけるポリアモリーの状況について仔細にレポートする。ポリアモリーとは直訳すると「複数愛」の意で、「一対一の恋愛を前提とするモノガミー=単数婚と異なり、複数の相手との関係性を指し示す言葉」である。

 恋愛や結婚は一対一でするものという「モノ規範」の強固な社会において、ときに彼らは「浮気性」「ヤリチン・ヤリマン」などといった言葉で非難されてきた。婚外恋愛や婚外性交を「倫理に反する」という意味の「不倫」と呼ぶことからもあきらかなように、一夫一婦制を脅かすような複数愛に対する人々の忌避感は根深い。芸能人の不倫報道が出ると、連日のようにテレビのワイドショーで取りあげられ、SNSなどで「視聴者」たちが紛糾している様子が見られる。

 とりわけ不倫した女性芸能人に対する風当たりのすさまじさといったらなく、復帰するにも時間がかかり、復帰したところで以前と同じような活動が許されない印象がある。これにはモノ規範だけでなく、女性に対する性規範がいまだに厳しいことが関係しているように思える。「自分はルールを守ってがまんしてるのにずるい!」という嫉妬心が執拗な不倫バッシングに向かわせているとはよく言われることだが、もし本当にそのような心理が働いているのだとしたら、まずはそのルールを作ったのはだれなのか、自分の中に根を張る規範を疑ったほうがいい。他者への苛つきのほとんどは、おそらく自分との差異からくるもので、ではその差異がどうしてあらわれるのか、そちらを注視して自分自身を探っていくことのほうが、バッシングに加担するよりずっと有用で刺激的な気がする。

 ポリアモリーと一口にいっても、それぞれ考え方もちがえば、性的指向も恋愛指向もパートナーとどのような関係を結び、どのような関係を築きたいか、その実践方法や関係様式もさまざまで、あたりまえだけれど一人として同じ人間はいない。規範から完全に解き放たれている人はむしろ少数で、みな己の中に根深く残っているモノ規範や罪悪感や嫉妬心に葛藤しながら、それでも自分はこうありたい、こう生きたいという理想を求めて模索をつづけている。

 他者と出会い、その話に耳を傾け、自分との差異を認識することは、自分を知るということでもある。おまえは何者なのか、おまえはどう生きたいのか。ポリアモリーを生きる彼らの姿は、いやおうなくこちらにそうした問いを突きつけてくる。本書を読んでいるあいだずっと、私は自分の中に根差したさまざまな固定観念を点検するように眺めた。どうして自分は現在、夫と一対一の関係を結んでいるのか。どうして他の人を好きになってはいけないと思い込んでいるのか。そういうふうになっているから、そういうものなんだと思い込んでいるだけなのではないか。

 これまで多くの本が多くの他者、ひいては多くの自分に出会わせてくれたように、本書もまた新たな他者、ひいては新たな自分との出会いをあたえてくれる一冊となった。

新潮社 波
2023年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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