「時間にやかましかった」5分前に到着した若者にも激怒…池波正太郎のストイックな素顔とは?〈新潮文庫の「池波正太郎」を84冊 全部読んでみた結果【後編】〉

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池波正太郎の銀座日記☆(全)☆

『池波正太郎の銀座日記☆(全)☆』

著者
池波 正太郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784101156590
発売日
1991/03/27
価格
935円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

新潮文庫の池波正太郎を全部読む 後編

[レビュアー] 南陀楼綾繁(ライター/編集者)


神田まつや前の池波さん

 一気読みをこよなく愛するライター・南陀楼綾繁さんが、新潮文庫の池波正太郎作品全作読破に挑戦!

 これまで三島由紀夫34冊、松本清張45冊を読破するという無理難題を押し付けられてきたナンダロウさんが、名シリーズ「剣客商売」や江戸時代ものなど84冊を読んでみた感想は――。

 後編ではエッセイを通して、巨匠・池波正太郎の超ストイックな素顔を紹介。そして「仕掛人・藤枝梅安」シリーズを手掛けた池波が残したアウトロー作品や幕末もの、現代小説を紹介する。

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南陀楼綾繁・評「新潮文庫の池波正太郎を全部読む 後編」

 ×月×日

 S社のKさん、Hさんと待ち合わせて、京橋の試写室でアクタン・アリム・クバト監督『父は憶えている』を観る。キルギスの映画を観るのははじめて。

 出稼ぎに行ったロシアから帰ってきた父ザールクは、記憶と言葉を失っていた。不在の間に、妻は別の男と再婚し、村の中にはゴミが放置されている。父をどう扱えばいいのか困惑する家族をよそに、ザールクは黙々とゴミを片付ける。孫娘だけがそれに寄り添う。

 判らないところも多い映画だが、観終わって、

(この風景の中にもっといたい)

 という印象を残す。いい映画だ。Hさんが「人が集まるシーンで、やたらとパンを勧めるのが面白かったですね」と話す。

 東京駅近くまで来ると、先日閉店した〔八重洲ブックセンター〕一帯の再開発がすすんでいた。

 山手線に乗り、秋葉原駅から歩いて、〔神田まつや〕へ。六時過ぎだが、ほぼ席は埋まっている。親子煮、わさび漬けなどをつまみに、ビールと酒をのむ。

 通常は海老天が二本の〔天種〕を「三本にしてもらえますか?」とKさんが頼んだ瞬間、おばさんが持っていたおぼんをひっくり返し、私の肩に当たる。「すいませんねえ」と、何度も肩をなでられた。

 念願の蕎麦がきを食べたあと、季節限定のなめこせいろ。気がつけば、最後の二組になっていた。

――と、最終回は『池波正太郎の銀座日記〔全〕』の下手な真似ではじめてみました。

 実際、この日はKさんの提案で、〔池波あるき〕をやってみたのだ。

『父は憶えている』はキルギス映画だが、池波は『銀座日記』で、大好きなフランス映画をはじめ、イタリア、スペイン、ユーゴスラヴィア、中国などの映画を観たことを記している。

「すぐれた映画とか、すぐれた文学とか、すぐれた芝居とかというのを観るのは、つまり自分が知らない人生というものをいくつも見るということだ。もっと違った、もっと多くのさまざまな人生を知りたい……そういう本能的な欲求が人間にはある」と、池波は語っている(『映画を見ると得をする』)。

 映画を観たあとは、行きつけの店で軽く酒を飲み、食事をする。〔まつや〕については、「うまいといえば〔まつや〕で出すものは何でもうまい」と、池波は絶賛している(『むかしの味』)。一八八四年(明治十七)創業の老舗だ。

〔まつや〕のある神田須田町には、あんこう料理の〔いせ源〕、鳥すきやきの〔ぼたん〕もある。この三店は西原理恵子・神足裕司『恨ミシュラン』で、老舗のバミューダ・トライアングルなどと評されていた。

 この界隈に名店が多いのは、近くに万世橋駅があったことが大きいと、常盤新平は解説する(『池波正太郎の江戸東京を歩く』ベスト新書)。一九一九年(大正八)に神田駅が開業する前は、万世橋駅が中央線のターミナルとしての機能を持っていたのだ。

 池波は〔まつや〕での過ごし方を、「時分どきを外して入り、ゆっくりと酒をのみながら、テレビの日本シリーズなどをたのしむ」と書く(『むかしの味』)。

 池波にならって、私が食べたのが〔蕎麦がき〕だ。

 現在、普通に食べている麺の形をした蕎麦は〔蕎麦切り〕といい、江戸時代の元禄期以降に普及したものだ。それから半世紀以上あとの時代を舞台とする『剣客商売』で、秋山小兵衛が蕎麦屋で食べているのは蕎麦切りだ。

 蕎麦がきは、蕎麦粉に熱湯を加え、かき混ぜてねばりを出したもので、この店では手桶に入って出てくる。箸で切って口に入れると、蕎麦の香りが広がる。酒の肴には最高だ。

 閉店前になると、潮が引くようにテーブルが空いていく。居残っていた私たちは、「そろそろ……」と促されて店を出る。気づかいの人だった池波ならあり得ないことだ。

 しかも、池波なら、これから帰宅して仕事にかかるのだ。当方はいい気分で帰って寝るだけ。こんなところは、とても真似できないのだった。

新潮社 波
2023年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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