「世の中は、みんな、勘ちがいで成り立っている」池波正太郎が『剣客商売』で描いた人生の本質とは?〈新潮文庫の「池波正太郎」を84冊 全部読んでみた結果【前編】〉

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剣客商売一 剣客商売

『剣客商売一 剣客商売』

著者
池波 正太郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101157313
発売日
2002/09/20
価格
737円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

84冊! 新潮文庫の池波正太郎を全部読む 前編

[レビュアー] 南陀楼綾繁(ライター/編集者)


池波正太郎さん

 一気読みをこよなく愛するライター・南陀楼綾繁さんが、新潮文庫の池波正太郎作品全作読破に挑戦!

 これまで三島由紀夫34冊、松本清張45冊を読破するという無理難題を押し付けられてきたナンダロウさんが、名シリーズ「剣客商売」や江戸時代ものなど84冊を読んでみた感想は――。

(前中後編の前編/中編を読む/後編を読む)

南陀楼綾繁・評「84冊! 新潮文庫の池波正太郎を全部読む 前編」

 今年の夏の気温は過去最高を上回り、強烈な暑さが続いた。そんななか、新潟県新発田市に出かけた。この町で育ったアナキスト・大杉栄の足跡をたどる取材で、あちこちを歩いた。

 暑さにへばって休憩するたびに、池波正太郎の小説『堀部安兵衛』を読んだ。堀部安兵衛は、新発田藩の中山弥次右衛門の息子として生まれた。

 この作品のために、池波正太郎は新発田で取材をしている。

〈私が新発田をおとずれたのは冬の最中で、雪にうもれたわらぶきの、この小さな屋敷が、

「まあ、二百石取りの家ということです」

 と、郷土史家のS老にいわれ、そのとき、小説の書き出しが瞬間にきまった〉(「忠臣蔵と堀部安兵衛」『戦国と幕末』角川文庫)

 大杉栄は一九二三年(大正十二)九月一日の関東大震災発生後、妻の伊藤野枝、甥の橘宗一とともに東京憲兵隊本部に連行され、殺害された。

 そして、『堀部安兵衛』を書いた池波正太郎は、同じ年の一月、浅草区聖天町に生まれた。父・富治郎は日本橋の綿糸問屋の番頭で、祖先は富山県井波の宮大工だったという。

 震災後、一家は埼玉県浦和市に移住。六歳で東京に戻るが、両親が離婚したため、浅草永住町の母の実家で祖父母と暮らす。

 今年没後百年を迎えた大杉栄と、生誕百年を迎えた池波正太郎が、新発田を介して私のなかでつながった気がする。そういう偶然の出会いを生むことが、読書の喜びなのだと思う。

映画と食を愛する作家だが

 三島由紀夫、松本清張と続いた「新潮文庫の◎◎を全部読む」シリーズ。

「今年は池波正太郎で」と、例によってK編集長に云い渡されたとき、今回はわりと楽かなと思った。高校生の頃に『真田太平記』を読んで以来、池波は小説もエッセイも好きで読んでいる。今回こそ順調にいくかもしれない。

 しかし、「単著だけで八十四冊あります」と云われて、その期待はすぐに消え去った。三島のときは三十四冊、清張は四十五冊でどちらも苦しかった。新潮文庫では、ひとりの作家の著作としては最も多いのではないか。他にも、『剣客商売読本』『池波正太郎の食まんだら』などの関連本も多い。

 その後、自宅に段ボール箱が送り付けられた。中には黄色い背表紙の池波の文庫がぎっしりと詰まっていた。

 しかし例の猛暑で、何もする気力が起きないまま、日々が過ぎていった。

 これではまずいと、自転車で西浅草にある〔台東区立中央図書館〕(固有名詞を〔〕でくくるのは池波流だ)まで出かけた。同館には、二〇〇一年に開設した〔池波正太郎記念文庫〕が入っており、池波の著作や原稿の展示とともに、書斎が再現されている。

 池波は一九五二年、品川区荏原に新居を構えた。この書斎は一九六九年に新築されたものだ。おもに夜に仕事をする池波は、この空間で原稿を書き、夜食を食べ、音楽を聴き、本を読み、絵を描いた。

 その生活の一端がうかがわれるのが、『池波正太郎の銀座日記〔全〕』だ。私は大学生の頃に読んで以来、繰り返し同書を読んできた。一九八三年から一九九〇年までに書かれたものだ。

 池波は週に何日か、銀座で映画の試写を観る。ハリウッドの超大作もミニシアター系の映画もまんべんなく観て、面白いと思ったものは素直に褒める。

 映画が終わると街を歩き、お気に入りの店で食事をする。〔野田岩〕の鰻丼、〔煉瓦亭〕のポーク・カツレツ、〔ローマイヤ〕のロール・キャベツ、〔トップス〕のドライカレー、寿司屋では〔新富寿司〕〔与志乃〕。浅草では〔リスボン〕、神田では〔やぶそば〕〔まつや〕などの名前が挙がる。

 池波は庶民的な味を好んだが、貧乏学生の身ではこれらの店に足を踏み入れることもできず、銀座に行っても前を通り過ぎるだけだった。その頃は、池波のことを「映画と食べ物好きの活動的な作家」だと思っていた。

 しかし、何度も読み返すうちに、帰宅してからの池波が夜、孤独に原稿用紙に向かう姿が浮かび上がってきた。自分は「職人」「居職」だという認識を持ち、毎日休むことなく原稿を書いた。正月も元旦から仕事をする。

〈私の小説は、「何を書こう」ということが、たとえば道を歩いているときの一瞬のうちに決まる。その一瞬に、テーマも構成も決まってしまう。(略)そして、原稿紙へ向かってからの苦しみは、また、別のものである。一瞬のうちに決まってくれさえすれば、ほとんど、最後まで書きぬくことができる。これはやはり〔職人の感覚〕ではないかと、私はおもう〉(「職人の感覚」『新年の二つの別れ』朝日文庫)

 一九八五年、池波は高血圧と気管支炎のために入院。しばらくして復帰するが、一九九〇年に急性白血病で入院し、六十七歳で逝去した。

 池波は、若い頃から人間は「死ぬところに向かって生きている……」という信念を持っていた(『男の作法』)。死を思うからこそ、どういうふうに生きたらいいかを真剣に考えていた。

 その信念のままに生きて、職人として膨大な仕事を成し、そして死んだのだった。

 以下、新潮文庫の池波正太郎作品を全部読んで感じたことを、二回に分けて書いていく。前編では『剣客商売』シリーズと、そのほかの江戸時代を舞台とする作品を取り上げる。

新潮社 波
2023年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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