アイルランド出身の詩人も「世界レベル」と大絶賛!「歌人・西行」の驚くべき独自性とは?

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

西行

『西行』

著者
寺澤 行忠 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
歴史・地理/伝記
ISBN
9784106039058
発売日
2024/01/25
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「歌人・西行」の文化史上の意義

[レビュアー] ピーター・J・マクミラン(翻訳家)

 アイルランド国立大学を首席で卒業した詩人で、『百人一首』の英訳で日米の翻訳賞を受賞したピーター・J・マクミランさんが、「世界レベル」と絶賛するのが中世の大歌人・西行。このたび刊行された『西行 歌と旅と人生』(寺澤行忠著、新潮選書)に書評を寄せ、その文化史上の意義について解説している。

ピーター・J・マクミラン・評 「歌人・西行」の文化史上の意義

 西行についての新しい本が、長年西行研究に尽くしてこられた寺澤行忠氏によって出された。その書評を書けることを嬉しく思う。西行は言うまでもなく日本の大歌人の一人であり、世界に通じる歌人であり、その魅力がわかりやすく説かれた本だからだ。

本書では西行について、幅広い観点から論じている。例えば、西行は『新古今和歌集』に最多の歌が選入された歌人で、日本の和歌史において傑出した存在であること。旅に新鮮な魅力を見出し、人生を旅とした歌人であること。桜を愛し、日本人の桜を好む気風が醸成される上で大きな影響を与えたこと。人生が無常であると自覚し、それを乗り越える道があることを力強く示したこと。日本の神仏習合において、きわめて大きな役割を果たしたこと。本書は、以上のように西行の文化史上の意義に改めて光をあてたもので、西行がどれほど重要な存在であったかがよく分かる。

また本書の特徴として、読者に分かりやすいように、ほとんどすべての歌に現代語訳を付したことが挙げられる。加えて西行に関する興味深いエピソードを多数紹介し、また代表的名歌を多くとり上げている。

例として、西行の最も有名な歌を見てみよう。第18章では、西行の「願はくは花の下(した)にて春死なむ その如月の望月の頃」という歌を取り上げ、「出来ることなら、生涯愛してやまなかった桜花舞い落ちる木の下で、二月十五日の釈迦入寂(にゅうじゃく)の日に、この世の生を終えたい」という明快な現代語訳を付けている。英訳をする際に、とても役に立つ。
 
著者によれば、西行はこの歌を自歌合「御裳濯河歌合(みもすそがわうたあわせ)」に入れているが、その判者である藤原俊成は「死を希求するテーマ」が和歌にふさわしくないと考え、「これは西行だから詠める歌であって、深く道に達していない者が詠んでもよい歌にはならない」と、「持(引分)」の判定を下したという。このエピソードについて、著者は次のように述べる。

〈歌壇的営為である歌合の場に、このような歌を持ち込む西行と、それを精一杯理解しようとしながらも「持」の判定を下す俊成……そこに歌壇に生きる者と歌壇の外で自由に歌を詠んでいた者の、立場の違いをみることが出来よう。〉

俊成の判定の理由を俊成と西行の立場の違いにあるとし、この歌が『新古今和歌集』に一旦選ばれたが、最終的に除外されたことも指摘している。

また、西行が文治六年(一一九〇)二月十六日、この歌の通りに二月の満月の頃に亡くなったため、それに感動した俊成・定家・慈円らが西行を追悼して詠んだ歌が、現代語訳とともに紹介されているが、いずれも西行の歌をうまく引用しており、尊敬する歌人への深い敬意を示していて、周囲の視線からの西行の魅力もあわせて知ることができる。次の慈円の歌は特にその気持ちをよく表現していて心に残ったので、寺澤氏の訳とともに引用しよう。

〈風になびく富士のけぶりにたぐひにし 人のゆくへは空にしられて〉

(「風になびく富士のけぶりは空に消えて」と詠み、そのけぶりとともに消えていった上人の行方を、空にはっきりと見ることが出来ます――極楽往生は疑いないことです)

ここまで特に第18章の内容に注目して見てきたが、様々な面から丁寧で納得のいく解説がされており、至れり尽くせりであることが分かるだろう。本書全体にわたって、このような解説が展開されている。

続く第19章では、西行と定家の関係を取り上げている。両者の歌風の違いから、両者を対立的に捉え、定家は西行をあまり高く評価していなかったのではないかとする見方が一般的だが、実際は両者は互いに相手を深く尊敬し、高く評価しているという。定家が選んだ秀歌撰集においても、定家は西行の歌に対し、父俊成に次ぐ高い評価を下していることを実証している。

第20章「西行から芭蕉へ」では、五〇〇年後に生きた芭蕉がいかに西行を敬愛していたかが、作例に沿って丁寧に述べられている。芭蕉は言うまでもなく世界的に名が知られているが、その芭蕉がこれほど深く西行を愛したというのはとても興味深い。

芭蕉の時代は今と違って西行の人生や作品解釈について学問的な考証はなく、西行の知識は誤写が多い延宝二年版本の『西行上人集』、西行作と誤って信じられていた『撰集抄』、説話としてのフィクションの含まれる『西行物語』に基づいたものであったと指摘した上で、著者はこうした書で「西行の歌に親しんでいたにもかかわらず、芭蕉が西行の本質を鋭く捉えていたことは注意される」としている点に特に心ひかれた。「西行の本質」は、芭蕉の「本質」にも共通するものであったに違いない。
 
西行について、これほど読者にとって親しみやすく、読むのが楽しい本はないと思う。私の考えでは、西行は驚くべき独自性と深い精神性を持った歌人の中の歌人、世界レベルの歌人だ。たくさんの人にこの本を読んでほしいし、いずれこの本が英語に翻訳され、世界中の読者にも、深い考察と膨大な知識によって書かれた本を通じて、西行の素晴らしさが知られることを祈る。

新潮社 波
2024年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク