『親密な手紙』大江健三郎著

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親密な手紙

『親密な手紙』

著者
大江 健三郎 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784004319931
発売日
2023/10/24
価格
968円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『親密な手紙』大江健三郎著

[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)

本・作家ら 最晩年の回想

 大江健三郎さんほど、読書による経験を大切にした作家はいないだろう。高校時代に仏文学者・渡辺一夫の『フランス ルネサンス断章』を読み、その人が東大で教えていると同級生の伊丹十三に教えられ、一浪して東大に進んだ。仏文科時代には「この人をと思い決めた作家は、翻訳で読まないように」と教育され、傾倒したサルトルを原著で読み、在学中に作家デビュー、芥川賞を受けた。そして、中年以降は、海外の名作や過去の自作を読み返し、それに〈応答〉するような新作を書き、「僕の小説は全部連作だったと思います」と語っていた。

 本書は、〈想像力の働きを生き生きと励まし〉、〈窮境を自分に乗り超えさせてくれる「親密な手紙」を、確かに書物にこそ見出(みいだ)して来た〉という小説家が、懐かしい作品と著者らとの思い出を率直につづった連載エッセー集である。最後の小説『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』(2013年刊)と同時期に書かれた最晩年の仕事でもある。

 生前に評者が会った安部公房は、「大江君にはまいっちゃうよ。突然絶交なんだから」とぼやいていたが、本書では大江さんが逆に〈絶交を宣せられ、数年がたった〉こともあったという。井上ひさしら互いに力を認めあう作家同士の交流を語る文章には、書くことで生きる者たちがしのぎを削る、特別な緊張感がみなぎる。

 ひと言では言い尽くせない思いや経験を、正確に語ろうと何度も推敲(すいこう)する小説家の文章は、しばしば晦渋(かいじゅう)に感じられるが、肩の力が抜けて書かれた本書は読みやすく、注意深くゆっくりと読むことで味わいが拡(ひろ)がる。

 連載中、脱原発運動で首相官邸を訪ねた際、トレードマークの丸眼鏡を外して本を読んでいたため、声をかけられず、最初は置き去りにされたという逸話など、思わず笑みがこぼれる箇所も多い。小説の登場人物のようにカリカチュア(戯画)化するエッセーからは、作家のユーモラスな風貌(ふうぼう)と声音も生き生きと伝わってきた。(岩波新書、968円)

読売新聞
2024年1月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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