『親密な手紙』
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『親密な手紙』大江健三郎著
[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)
本・作家ら 最晩年の回想
大江健三郎さんほど、読書による経験を大切にした作家はいないだろう。高校時代に仏文学者・渡辺一夫の『フランス ルネサンス断章』を読み、その人が東大で教えていると同級生の伊丹十三に教えられ、一浪して東大に進んだ。仏文科時代には「この人をと思い決めた作家は、翻訳で読まないように」と教育され、傾倒したサルトルを原著で読み、在学中に作家デビュー、芥川賞を受けた。そして、中年以降は、海外の名作や過去の自作を読み返し、それに〈応答〉するような新作を書き、「僕の小説は全部連作だったと思います」と語っていた。
本書は、〈想像力の働きを生き生きと励まし〉、〈窮境を自分に乗り超えさせてくれる「親密な手紙」を、確かに書物にこそ見出(みいだ)して来た〉という小説家が、懐かしい作品と著者らとの思い出を率直につづった連載エッセー集である。最後の小説『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』(2013年刊)と同時期に書かれた最晩年の仕事でもある。
生前に評者が会った安部公房は、「大江君にはまいっちゃうよ。突然絶交なんだから」とぼやいていたが、本書では大江さんが逆に〈絶交を宣せられ、数年がたった〉こともあったという。井上ひさしら互いに力を認めあう作家同士の交流を語る文章には、書くことで生きる者たちがしのぎを削る、特別な緊張感がみなぎる。
ひと言では言い尽くせない思いや経験を、正確に語ろうと何度も推敲(すいこう)する小説家の文章は、しばしば晦渋(かいじゅう)に感じられるが、肩の力が抜けて書かれた本書は読みやすく、注意深くゆっくりと読むことで味わいが拡(ひろ)がる。
連載中、脱原発運動で首相官邸を訪ねた際、トレードマークの丸眼鏡を外して本を読んでいたため、声をかけられず、最初は置き去りにされたという逸話など、思わず笑みがこぼれる箇所も多い。小説の登場人物のようにカリカチュア(戯画)化するエッセーからは、作家のユーモラスな風貌(ふうぼう)と声音も生き生きと伝わってきた。(岩波新書、968円)