人類の心の「普遍的構造」とは何か。中沢新一の集大成『精神の考古学』を気鋭の批評家が読み解く

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精神の考古学

『精神の考古学』

著者
中沢新一 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103659037
発売日
2024/02/15
価格
2,970円(税込)

言葉の彼方への旅路――中沢新一『精神の考古学』を読む

[レビュアー] 若松英輔(批評家)

 中沢人類学の始まりにして集大成となる一冊、『精神の考古学』(新潮社)が刊行された。

 古代と呼ばれる時代に、人間はどのような心を持ち、なにを考えていたのか? それを知るには、まだそれが残っている現場に身を置くことだ。そう考え、秘教の地へと向かった中沢青年は、恩師ケツン先生と出会い、そこで得た知見は、やがて独自の思想の構築へとつながり、「精神そのもの」へと導かれていく。

 「一個の人間の稀有なる旅路の記録であり、告白の書である」と、この中沢氏自身の人生を賭けた一冊に書評を寄せたのが、批評家にして詩人、本質を見抜く眼を持つ若松英輔氏だ。

 中沢氏が「修行から40年経ち、やっと書くことができた」と述懐する体験の意味とは?

 ***

 人間の生涯もまた一つの作品である、という主旨のことを河合隼雄が、どこかで書いていたように思う。この本を読みながら、しきりにそのことが思い起された。本書は「精神の考古学」とは何かを論説した本ではない。生ける「精神の考古学」はいつも、論じられる前に生きることを求めてくる。存在世界からのそうした促しに呼応した一個の人間の稀有なる旅路の記録であり、告白の書である。

 一九八三年に刊行された『チベットのモーツァルト』以来、中沢新一が現代日本精神史に投じた波紋は大きい。彼が発する言葉は、賛否を問わず多くの人々を包み込んでいった。人はその言葉が描き出す世界に驚き、魅了され、あるいは抗った。どんな反応であれ、それまでの自分の常識に穴を開けられるように感じたことは変わらない。

 中沢の言葉にいち早く、そして強く反応したひとりに吉本隆明がいる。「精神(心)の考古学」が実現されるためには道は一つしかない。そのためには詳細に文献を調査するだけでなく「未開の宗教、医術、知識、経験などを継承し、それに通暁している」導師の弟子となり「その技法を体得し、その核心を現代的に解明すること」である、と吉本はいう。

 二十九歳だった中沢は日本を離れ、ネパールへと向かい、「ケツン先生」と彼が呼ぶ、チベット仏教の修行者に弟子入りした。彼の前にも異国に導師を求め、深く学んだ者はいただろう。しかし、「その核心を現代的に解明」しようと試みた者はいなかった。先の言葉に吉本はこう続けている。
 
 
 たぶん中沢新一の『チベットのモーツァルト』は、この「精神(心)の考古学」の技術法を使ってチベットの原始密教の精神過程と技法に参入し、その世界を解明しようとした最初の試みではないかと思った。
 
 
 ここで述べられている「精神の考古学」が本書の名称の由来になっている。だが、それは、作者が吉本のいう「精神」をそのまま継承していることを意味しない。作者は本書を書くことでそれを再定義しようとする。それも言葉によってではなく、言葉を包み込みながら言葉を超えていくような意味の響きと呼ぶべきものの力を借りて描き出そうとするのである。

 描くというのも比喩ではない。読み手は、本書に刻まれた記号としての文字に反応するだけでは十分ではない。作者が直面している言葉では書き記すことのできない何かに、読む者もまた対峙することを求められる。

「人間の精神(心)の深い地層にまで潜って行くと、しだいに言語的思考の影響力が弱まり、消えていくようになる。精神は自然状態の運動性や光輝を取り戻して、自由自在な活動をおこなうようになる」と作者は本書の「まえがき」で述べている。

 ここで述べられているのは高次な思考の道程である。思考は通常、言語によって行われる。ある人は言語によってのみ、とすらいうかもしれない。しかし作者がネパールで出会ったものは、そこに留まらない思考の理を有していた。むしろ、作者が参与した修行は、言語的世界の向こうに世界の実在を見つめることを強いた。そのために人は言葉の働きを「浄化」しなくてはならない。
 
 
 言葉の働きの浄化で大活躍するのは、「フーム(hum)」という音と形と色を持った音声シンボル(字)である。この音声シンボルはシヴァ神とよく似た性格を持っている。すでに出来上がった存在物を破壊して、新しい存在物を生成してそこに立ち上がらせるという、破壊と生成両面を備えた力を持つ。
 
 
「フーム」は単に言語的世界の常識を破壊するだけではない。言語をはるかに超えた意味のはたらきを同時に世界に招き入れる。ある地点を超えていくと思考の導き手は言葉ではなく、神秘家たちが「光」と呼んだものへと移行していく。そこで開示される意味もまた、言語の姿をしていない。哲学者の井筒俊彦――井筒もまた中沢の言葉に早く呼応したひとりだった――の表現を借りれば言語の衣を脱いだ「コトバ」として顕現する。

「私は言語構造にも象徴にもよらない、「裸」の状態にある精神(心)というものにたどり着きたかったのである」と作者は書く。だが、この経験が重要であるなら、作者は本書を書く必要などなかった。繰り返される観照経験のなかに生涯を終えることもできるのである。

 本書によって作者が試みたのはコトバの地平での経験をふたたび言葉の世界に新生させることだった。それを未知なる他者と分かち合うこと、彼にもたらされた経験がそれを強く求めたのである。ただ、それを実現するには四十年の沈黙が必要だった。本書は次の一節から始まる。
 
 
 いまから四十数年前、私は一人でネパールにでかけて、その地でひっそりと難民の暮らしを送っていたチベット人のラマ(先生)のもとで、「ゾクチェン」という古代から秘密裡に伝えられてきた精神の教えを学び始めた。この本で私は当時の記録と記憶をたよりに、その修練の過程をできるだけ詳しく再現しようと試みた。
 
 
 チベット仏教の存在を中沢の著作によって知ったという人も少なくないのではないだろうか。この本で彼はこれまで書いてきたことを反芻しているのではない。書き得なかったことに向き合おうとしている。本書には、ユングやレヴィ=ストロースといった作者が永年、対峙を続けてきた思想家の言葉も引かれている。彼らとの対話が四十余年の歳月を照らす光線になっているのである。

 人間は言葉によって世界を作っている。言葉によって世界を構築することでどうにか暮らしている、と言った方がよいのかもしれない。言葉は「家」である、と語ったのは本書にも幾度か言及されているハイデッガーだが、確かに私たちは、言葉という「家」があることで、真の意味における自然ではなく、人間にとっての「自然」と向き合うことができている。だが「ケツン先生」は「自然」の奥に潜む生けるちからの世界へと誘うのだった。

「ゾクチェンの修行には特別な道具も器具もいらない」と作者は書いている。意識の変容を促す特殊な植物も礼拝も儀礼も不要で「ただあたりに煩わされることのない静かな環境とたっぷりの暇な時間さえあれば」十分だった。それは真実である。だが、そうした環境が求められるのは、世界に充溢している存在のエネルギーの助力を満身で受け止める必要があるからでもあった。

 世界は土水火風の四つの元素からなる、と「ケツン先生」は説く。だが、それは言葉による説明に過ぎない。師が弟子を導くのは整った理論を認知することではなく、生ける出来事を全身で認識することだった。「四大元素の全体運動の中から、立ち現れてくるものがある」と書いたあと作者はこう続けている。
 
 
 古代ギリシャ人が「ピュシス」と呼んだもの、ゾクチェンが「ナンワsnang-ba、励起力」と名付けているなにものかが、そこから立ち現れてくる。「自然」はその全体運動に被せられたレッテルにすぎない。
 
 
 いつからか哲学はここでいう「レッテル」に新しい名前を与え、それを並べ替える営みになった。ここでいう「ピュシス」は、現代人が考えるような自然ではない。むしろ、自然を在らしめている強靭な「ちから」である。古代のギリシャ人にとって哲学とは「ピュシス」を論じることではなく、「ピュシス」を経験する道程だった。同質の精神伝統がネパールで出会ったチベット人に時空を超えて受け継がれている、というのである。

 言葉の世界を突破して、再び言葉の世界にもどってくること、これが「ケツン先生」が教えたことだった。彼は彼方の世界に安住することを許さない。そうすることの危険を幾度となく作者に語った。
 
 
 しばらくトゥガルのヨーガを続けていると、あなたは金剛連鎖体の形をしたリクパの動きを見届けることになりますが、それをこれこれの形をしたものとして対象化したり、自分はたしかにリクパをこの眼で見たなどと言って、喜んだり執着したりしてはならない。そんな考えを持つだけで、あなたは大きな錯誤を犯すことになります。
 
 
 神秘体験は、真の意味での経験という道程における、ひとつの扉に過ぎない。五感を超えた現象はある。ただ、それは乗り越えていくためにあるのであって、留まるものではない。ある人たちは、この迷路に入り組んだまま、旅を続けることができなくなる。

 修行を登攀に喩えることは東西の霊性の差異を問わず行われてきた。神秘体験は登り道の途中で起こることに過ぎない。「ケツン先生」が作者に強く求めるのは山を降りて地平に戻るだけでなく、登攀という経験の真義を人々と共有することだった。

「ケツン先生」は作者を愛しんだ。師は九年間、日本に滞在したことがあり、日本語も理解できたということも理由の一つだろうが、それだけでは説明できないつながりがこの師弟にはある。

 本書を読みながら、一度ならず想起したのは空海が長安から、道元が宋からそれぞれ真言密教と禅を持ち帰ってくる姿だった。異国の師たちは、日本から来た無名の僧にそれまで自分が受け継いできたものをすべて注ぎ込む。「教え」が飛び立とうとするのをはっきりと感じているのである。「ナカザワさん、あなたは私を離れてどこへでも飛び立って行くことができます。大切なのは、ラマ(師)という人間ではなく、その教えなのですから」とあるとき「ケツン先生」は言った。

 ゾクチェンの修行の傍ら、作者が読んでいたのはヘーゲルだった。『精神現象学』の著者に端を発する「精神」をめぐる記述は圧巻である。「精神」は人間に宿った一つのはたらきに留まらない。それは神のはたらきを意味する「プネウマ」とも意味的根源を同じくするものだったことが述べられ、作者は、この一語のなかに哲学だけでなく、ルターなどの宗教者までを巻き込む大きな叡知の歴史を見ようとさえしている。ただ、作者はヘーゲルがたどり着いた場所を終着点だとはしてない。

「ヘーゲルが明らかにしたのは、アジア的段階における精神(ガイスト)の姿までであって、さらにその地層の下に隠されているアフリカ的段階の地層へと掘り進んでいくことはしなかった。やろうとしてもできなかった。近代主義の大前提がそれを阻んでいたからである」という。

「精神」の「アフリカ的段階」、というとそこに原始的な何かを感じるかもしれない。作者がこの吉本隆明から受け継いだ表現で語ろうとするのは、似て非なるものである。作者は原始的なものを礼賛しているのではない。始原的なものをよみがえらせようとするのである。「人類の精神もまた生まれたばかりのアフリカ的段階において、すでにして完成をとげていて、そののちの歴史はその完成した状態からの頽落の過程を示すものであったのではなかったか」と作者は書いている。始原的なものは太古から存在する。しかし、それは現代にもまた実在する。

 ゾクチェンとは、始原的なものの守護と、その開花を託された者の呼び名なのではなかったか。作者はその系譜に連なる者として、本書を世に送りだそうとしているのである。

新潮社 新潮
2024年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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