戦後日本の少年たちが憧れた“冒険” 『少年ケニヤ』山川惣治|中野晴行の「まんがのソムリエ」第54回

中野晴行の「まんがのソムリエ」

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『少年ケニヤ(1)』
山川惣治[作画]

冒険と友情と親子愛の世界
『少年ケニヤ(1)』作画:山川惣治

 1950年代半ばまで、子どもの雑誌には必ず「絵物語」と呼ばれるものが掲載されていた。イラストとその場面を説明する文章が並ぶ、挿絵入り小説ともマンガとも違う独特のスタイルで、これは出自が街頭紙芝居(注)だったからである。街頭紙芝居の絵の部分と、裏に書かれた文章の部分を並べたものが絵物語というわけ。1930年代に、講談社の『少年倶楽部』が街頭紙芝居の人気絵師だった山川惣治を起用して「誌上紙芝居」と題して掲載したのがはじまりとされている。
 戦後は、多くの少年雑誌で絵物語が看板作品になった。明々社(現・少年画報社)の『冒険活劇文庫(のちの少年画報)』では永松健夫の『黄金バット』や小松崎茂の『地球SOS』が、秋田書店のライバル誌『少年少女冒険王』では福島鉄次の『砂漠の魔王』や岡友彦の『白虎仮面』が人気を集めた。ほかに、手塚治虫のデビューに関わった酒井七馬や、のちに創元文庫SFシリースで大ヒットしたE・R・バローズの『火星シリーズ』でイラストを担当して有名になったイラストレーター・武部本一郎なども絵物語を描いていた。

 中でも、人気の頂点にあったのが、元祖・絵物語の山川惣治だ。戦後まもなく、街頭紙芝居『少年王者』で東京近郊の子どもたちを夢中にさせた山川は、47年に紙芝居を絵物語化した単行本『少年王者』を集英社から描き下ろしてベストセラーに。集英社は49年に、『少年王者』をメインに据えた月刊誌『おもしろブック』も創刊した。
 今回紹介するのは、山川惣治が人気絶頂の1951年から55年にかけて『産業経済(産経)新聞』に連載した『少年ケニヤ』である。『産経新聞』はもともとは『大阪新聞』という地方紙で、『産経新聞』に改題して(『大阪新聞』は関西の夕刊紙として継続。のち休刊)東京へ進出する際の目玉連載にするため、山川に新作を依頼したのだった。

 ***

 舞台は太平洋戦争中のアフリカ大陸。1941年11月半ば。ケニヤの東海岸にあるモンバサで貿易商を営んでいた村上大助は、現地で生まれて10歳になったばかりの息子・ワタルとともに商談のために内陸の街・ナイロビに向かった。しかし、現地で村上はたいへんなニュースを耳にする。日本がアメリカとイギリスに宣戦布告したというのだ。当時のケニヤはイギリス領だった。イギリスの役人の捕虜にされることを恐れた親子は、ジャングルの奥に逃げ込む。そして、離ればなれになってしまったのだった。

 熱病に冒されたマサイの大酋長・ゼダの命を救ったワタルは、ゼダの助けを借りて父親を捜す旅を続けることになった。旅の途中で大蛇のダーナや巨象のナンターとも友達になったワタルは、さまざまな困難を乗り越えながら旅を続ける。3年近い歳月を経てたころ、ワタルは原住民のポラ族にさらわれ「神の使い」として幽閉されていたイギリス人の少女・ケートを救い出し、両親を捜す彼女も仲間に加わることになった。
 一方、ワタルの父も、何度も命を落としそうになりながら、息子を捜してジャングルをさまよっていた。果たして、親子は再会できるのか? そして、ふるさと日本に帰ることはできるのか?
「日本人は、どんなことがあってもへこたれないのだ」「日本人の子はやっぱり強い」といったセリフを読むと時代を感じる。発表されたのはちょうど、太平洋戦争で敗れた日本が、サンフランシスコ条約に調印(発効は1952年)し、ようやく占領から解放され、戦後から高度成長時代へと向かおうとしていた時期だったのだ。
 親子は近くまで来ていて会えそうなのになかなか会えない。後半ではせっかく再会するのにまた別れてしまう。

 連載は毎日1ページ。一難去ってまた一難という連続活劇形式を取りながら、生き別れになった親子の再会とワタルの成長という大きなテーマが全編を通して据えられて、そこに仲間との友情を加味するという、のちの『少年ジャンプ』方式の先駆ともいえる内容だった。
 アフリカのサバンナの描写もリアルだが、山川自身はアフリカに行ったことがないと言う。すべて資料と空想をもとに描いたものだ。それにもかかわらず、動物たちの動きや表情は豊か。登場人物も魅力的だ。中でもケートのお転婆ぶりがとてもチャーミング。今ならそのツンデレな性格にきっとファンがついただろう。

 作品は1961年にテレビドラマになった。小学校1年生だった私もみていた。主題歌は今でもちゃんと歌える。
 テレビと並行して『週刊少年サンデー』では石川球太によるコミカライズが連載された。残念ながらリアルタイムでは読んでいないが、のちに貸本用単行本になったのを読んでいる。
『産経新聞』は目論見通り、『少年ケニヤ』のおかげで東京でも部数を伸ばし、そののちも手塚治虫の絵物語『ハトよ天まで』や『鉄腕アトム』などを連載した。
 大人には懐かしく、子どもには今でも夢と勇気を与えてくれる作品だ。

(注)街頭紙芝居は10枚を1巻として描かれた1点もので、絵元(売人とも呼ぶ)から紙芝居師(演者)に貸し出される仕組み。絵元は東京や大阪・神戸の下町に集中していた。そのため、まず東京近郊や大阪・神戸の近郊から新作が出回り、地方にはその後作品が回っていく形になっていた。

中野晴行(なかの・はるゆき)

1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。
著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。 2004年に『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
近著『まんが王国の興亡―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』 は、自身初の電子書籍として出版。

eBook Japan
2017年8月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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