『鑑定学への招待 「偽」の実態と「観察」による判別』杉本欣久著(中央公論美術出版)

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

鑑定学への招待

『鑑定学への招待』

著者
杉本 欣久 [著]
出版社
中央公論美術出版
ジャンル
芸術・生活/絵画・彫刻
ISBN
9784805515013
発売日
2023/03/22
価格
3,520円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『鑑定学への招待 「偽」の実態と「観察」による判別』杉本欣久著(中央公論美術出版)

[レビュアー] 小池寿子(美術史家・国学院大教授)

現場20年 真贋の見分け方

 昭和33年、松本清張は美術作品の真贋(しんがん)を巡る「真贋の森」を発表した。優れた鑑識眼をもつ男が、日本美術史のアカデミズムから排斥され、辛苦をなめた挙げ句、自ら贋作者を養成するも裏切られて失意のどん底を生きる欲望と執念の短編だ。真贋を真正面から云々(うんぬん)するのはタブーであり今も変わらない。本書は、この禁断の封印を解く意欲作である。

 「ものをどのように観(み)れば良いか」といった実践面に関するカリキュラムが大学にはないと著者は語る。然(しか)り。美術史は作品という「もの」あっての学問だが歴史学に属する。作品解釈には史料研究が欠かせないからだ。一方、作品をどのように観るのか、「優、劣、巧、拙、真、偽」の価値判断については教えられない。

 なぜ真贋問題に真っ向から取り組むことがタブーなのか。美術鑑定にはつねに金銭が絡む。真作とされれば価値が上がり、偽となれば低くなる。その判断には悪意も作用するし、「作品」自体、金銭目的による制作もあれば保存などのための模倣・複製もある。金銭と善悪が絡むこの微妙な価値判断の世界を語る難しさと恐ろしさは並大抵ではない。

 著者は江戸期の絵画を専門とする大学教員だが、関西の古文化研究所で20年の研鑽(けんさん)を積み鑑定を学んだ。いわば「現場」での実践に裏付けられた書だ。まず「偽」の実態について具体例を挙げ、「観察」の重要性を力説。ついで物質面や技術面、落款など周辺情報の判断について方法論を提示。さらに「観察」に不可欠の「比較」について具体例を挙げながら解き明かす。きわめて論理的な展開は、最終章「批判的『観察』と科学」において、科学哲学者ポパーの批判的合理主義を援用して補強され、かつ、おわりにとあとがきで今後の鑑定学の展望を開示する。

 欧米でも観察眼と審美眼に磨きをかけた目利きが、文献資料を渉猟して作品という「もの」を「ことば」で語る伝統をよしとする。膨大な時間と経験、批判精神が不可欠な作業だ。真贋の森はいまだに深い。しかし本書は、そこに鮮烈な光明を差すに相違ない。

読売新聞
2023年5月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク