吉田修一が悪と欲望を描き尽くした極限の黙示録 『湖の女たち』試し読み

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小説家・吉田修一さんの文庫最新刊『湖の女たち』が刊行された。本作は週刊新潮に連載された当時から、介護施設で起きた事件を捜査する刑事と、施設で働く女が陥るインモラルな関係、そして事件の背後に見え隠れする現代社会の矛盾を暴露する構えの大きさが反響を呼んだ傑作長編。文庫版では画家の諏訪敦さんが解説を寄稿している。

ここでは特別に作品冒頭を無料公開する。

第一章 百歳の被害者

 台所はひんやりしている。
 床板は無垢の松材で、柿渋と松煙を使って塗装されているので、洗剤が染み込むと艶がなくなる。だから拭くときには必ず雑巾を固く絞ってから拭きなさいと、豊田佳代は幼いころから祖母にしつけられている。
 おかげで床は未だに黒光りしているが、なにぶん古い家なので踏めば床板は軋む。ギィと鳴るだけならかわいいものだが、ここ数年は流し台から川端まで、この狭い台所で立ち動くたびに、食器棚に重ねた皿が音を立てる。
 川端というのは、ここ西湖地区に流れる豊富な湧き水の水路で、この水路が家々の台所の中に引き込まれている。
 佳代の家では台所の床板から一段降りたところが石積みの川端で、大きな石甕に引き込まれた湧き水は料理に使ったり、野菜を冷やしたりする。
「お父さん、なんか銀行の振込あるって言ってへんかった?」
 冷えた胡瓜とトマトを石甕から掬い上げながら、佳代は背後の居間に声をかけた。
 濡れたまま野菜を俎板にのせ、サラダ用に切り始めていると、「ああ、これこれ、頼むわ」と、いつの間にか父親の正和が背後にいた。体の大きな正和が立つと、床板が大きくしなるのが佳代の足の裏からも伝わってくる。
 正和が手にしているのは通販代金の振込用紙で、6980円とある。
「また、なに買ったん?」
「羽毛の枕や」
「枕、こないだも買うてなかった?」
「あれ、向こうの家に持ってってん。これ、ここに貼っとくぞ」
 正和が振込用紙を冷蔵庫にパチンと貼って食卓へ戻る。正和が使ったマグネットは、佳代がさほど熱心にでもなく集めている食品を象ったマグネットの一つで、ちょっと分かりにくいのだが、これはエンガワの握りのミニチュアである。
 ちなみに正和が向こうの家と言ったのは、三、四年まえから付き合っているらしい静江という女性の家のことだ。
 夏のこの時間はちょうど朝日が台所に差し込んでくる。差し込んだ日差しは川端を照らし、石甕の水に浮かんだ野菜をキラキラと輝かせる。
 佳代はガラス製のサラダボウルを食卓に運んだ。切ったばかりの胡瓜やトマトがひんやりと見える。
「粉チーズみたいなドレッシングあったやろ?」
 納豆を混ぜていた正和が、佳代が持ってきた柚子ドレッシングを一度手に取って戻す。
「粉チーズ?」
「ああ、そや。向こうの家やったわ」
 佳代はかまわず柚子ドレッシングをかけた。
 食卓には鯖のみりん干しと大根おろし、大粒の納豆、だし巻き卵に、甘めのエビ豆と、正和の好きなものが並び、あおさたっぷりの味噌汁からは濃い湯気が立っている。
「お父さん、枕、枕って、また首の調子悪いん? マッサージ行ったら?」
「そやな」
 正和が乱暴に首を回す。
「そうやって無理に捻るからあかんのちゃうん? 予約しといてあげよか? 最近、大野さん、当日やと空いてないこと多いで」
 この大野というマッサージ師を、ある意味、佳代は崇拝している。と云うと大げさだが、たとえば眼精疲労から来る頭痛だとか、全身が痺れるような腰痛を、大野は必ず治してくれる。三十代半ばだろうか、メガネをかけた小柄な男性で、決して力強いマッサージではないのだが、逆にソフトタッチの指圧のリズムが体の奥の方まで染み込んでくる。極めつきは施術の最後で、両目の上にかざされる彼の手のひらだ。触れられてもいないのに、じんわりと手のひらの熱が伝わってくるのだ。
「お父さん、今日現場なんやろ? 熱中症に気ぃつけてよ。また三十五度くらいになるらしいから」
「そやろな。朝でこれやもんな」
 玄関を出て行く正和を見送ると、佳代が小皿に残っていただし巻き卵を口に運んだ。
 正和が経営する豊田石材店は自宅から車で五分ほどの県道沿いにある。向かいは琵琶湖で、観光客から見れば湖畔の松林と相俟っての絶景なのだろうが、見慣れた佳代たちの目には砂利敷の駐車場があるだけで、石材店の前に三台並んでいる自動販売機にしか色がない。
 この石材店は正和の父である幸三が始めたもので、景気が良かったころには若い職人たちを何人も抱えていたのだが、現在では正和ともう一人の職人とで細々とやっている。基本的には墓石専門だが、著しい人口減少や共同墓地の流行で、ここ十数年は墓石よりも、建築用の石材やタイルを扱うことが多い。
 台所で洗いものを済ますと、佳代は洗面所で簡単に化粧をして家を出た。家の車庫で野良猫が気持ち良さそうに寝ている。
「もうごはん食べてきたん?」
 声をかけるが、猫は顔も上げず、満足げに尻尾を大きく揺らす。ちなみにこの猫には右目がない。生まれつきらしいのだが、子猫のころ川端で水を飲んでいるところを隣りに住む佐伯のおばさんが見つけ、不憫に思って病院に連れていったあと、自分で飼うでも飼わぬでもなく、おばさんが地域猫として餌だけは与えている。
 寝ている猫を跨いで、佳代が自分の車に乗り込もうとすると、その佐伯のおばさんが、
「佳代ちゃん、おはよ。今から? 今日も暑いって。気ぃつけへんと」と声をかけてくる。
 その手には重そうな洗濯かごがあり、額には玉の汗が浮かんでいる。
「……あ、そやそや、佳代ちゃん。おばあちゃんのお返し、ありがとうね。昨日カタログが届いてん」
 洗濯かごを置いた佐伯のおばさんが首にかけたタオルで汗を拭く。
「選べる方のがよかったやろ? おばちゃん、何にしたん?」
「まだ決めてないねん。いっぱいあるから選べへんで。でも、お米とかお肉かなあって思ってるんやけど、可愛らしい日傘なんかもあんねん」
「ああ、載ってたな。バッグとかもいろんなんあったやろ?」
「バッグはなあ、若い人向けやもん」
 またタオルで首の汗を拭いたおばさんが、「……にしても早いなあ。もう三回忌ってなあ」と、今日もまた暑くなりそうな夏空を見上げる。
「あ、もう行かへんと」
 佳代は車のドアを開けた。乗り込んだ瞬間、車内の熱でどっと汗が噴き出してくる。
 車庫からは水路にかかる短い石橋を渡って道へ出る。この時間、近所の中学生たちが猛スピードで自転車を漕いでくるので、佳代はハンドルにしがみつくように前方を確認しながら車を出す。
 先日、祖母寿子の三回忌法要を臨済寺で済ませた。
 亡くなる前日まで近所のスーパーに出かけていたほどで、とにかく急で呆気ない最期だった。あまりにも呆気なさすぎたせいもあるのか、通夜や告別式で佳代は一切泣かなかったのだが、なぜか先日の三回忌法要が終わった直後、自分でもどうしようもないほど涙が止まらず、境内の松の裏で泣きじゃくった。
 悲しいとか寂しいとか、そういうことではなくて、祖母が亡くなってからの丸二年の間に溜まっていた、たとえば「なあ、おばあちゃん、タオルケット出そか?」とか「なあ、おばあちゃん、玄関の鍵閉めてくれた?」とか、「なあ、おばあちゃん、今日も暑いで」とか、そういった二年分の呼びかけが、「おばあちゃん! なあ、おばあちゃんって!」と、とつぜん体からあふれ出てきたようだった。
 泣くだけ泣くと、子供のころ、祖母が話してくれた昔話が蘇った。有名な話もあれば、祖母の創作みたいな話もあったが、なかでも未だに鮮明に覚えているのは天狗の話だ。
 あるとき、村の少女が神かくしに遭う。村人たちが必死に捜索するも少女は見つからない。そのころ、少女は森の中で目を覚ます。すでにとっぷりと日の暮れた森の中、少女は、走る誰かの腕に抱えられている。とても太い腕で、包み込まれるように柔らかい。しかし、暗くてその顔は見えない。

吉田修一
長崎県生れ。法政大学卒業。1997(平成9)年「最後の息子」で文學界新人賞。2002年『パレード』で山本周五郎賞、同年発表の「パーク・ライフ」で芥川賞、2007年『悪人』で大佛次郎賞、毎日出版文化賞を、10年『横道世之介』で柴田錬三郎賞、19年『国宝』で芸術選奨文部科学大臣賞、中央公論文芸賞を受賞。ほかに『長崎乱楽坂』『橋を渡る』『犯罪小説集』『逃亡小説集』など著書多数。2016年より芥川賞選考委員を務める。映像化された作品も多く、『東京湾景』『女たちは二度遊ぶ』『7月24日通り』『悪人』『横道世之介』『さよなら渓谷』『怒り』『楽園』『路』『太陽は動かない』に続いて『湖の女たち』が映画化され、2023年11月全国公開予定。

新潮社
2023年8月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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株式会社新潮社のご案内

1896年(明治29年)創立。『斜陽』(太宰治)や『金閣寺』(三島由紀夫)、『さくらえび』(さくらももこ)、『1Q84』(村上春樹)、近年では『大家さんと僕』(矢部太郎)などのベストセラー作品を刊行している総合出版社。「新潮文庫の100冊」でお馴染みの新潮文庫や新潮新書、新潮クレスト・ブックス、とんぼの本などを刊行しているほか、「新潮」「芸術新潮」「週刊新潮」「ENGINE」「nicola」「月刊コミックバンチ」などの雑誌も手掛けている。

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