首切り事件、クロスボウ殺害事件、男性が全裸で縛られ殺された事件など、猟奇的な事件を描いたミステリ作品

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  • 時空に棄てられた女 乱歩と正史の幻影奇譚
  • 夏目漱石ファンタジア
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首切り事件、クロスボウ殺害事件、男性が全裸で縛られ殺された事件など、猟奇的な事件を描いたミステリ作品

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

文芸評論家・末國善己がピックアップした歴史小説から犯罪小説まで8冊を紹介。

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 伊東潤『江戸咎人逃亡伝』(徳間書店)は、脱出不可能な場所からの“逃亡”を題材にした中短編集である。

 主の依田政恒に勘定奉行の不正の証拠を隠すよう頼まれた中間の杢之助が、捕縛され送られた佐渡の金銀山から脱出を試みる「島脱け」は、忠義と正義を貫こうとする杢之助の姿が胸を打つ。厳重に監視された妓楼、黒塀とお歯黒どぶで囲われ出入りできる門が制限された吉原という二重の密室から人気の遊女が消える「夢でありんす」は、「鬼力」の異名を持つ凄腕の追捕人を探偵役にしておりハードボイルド+本格のテイストがある。山に放った罪人を藩士が追う放召人討ちの標的にされた元マタギの又蔵を、又蔵と因縁浅からぬ伝左衛門を案内人にした久保田藩四代藩主・佐竹義格の一行が追う「放召人討ち」は、山を熟知した二人による追走劇の迫力に圧倒された。

 本書は、耐える、我慢するといった古い日本的なメンタリティを批判し逃亡を肯定的にとらえているが、現状から逃げるにしても、その方法や先の見通しといった戦略がないと巧くいかない現実も突き付けていた。

 長崎尚志『人狩人』(角川春樹事務所)は、人間狩りを続ける謎のグループとの戦いを描いている。

 クロスボウで撃たれた身元不明死体の捜査に従事していた神奈川県警の桃井小百合は、エースだったが黒い噂があり迷宮入り事件専門部署にまわされた赤堂栄一郎と組むよう命じられた。死体発見現場を独自に調べた赤堂は、近くでクロスボウで撃たれた痕がある大量の白骨を発見する。二人は、戦後から神奈川で相次いだ神隠し事件の被害者がマンハントの標的だった可能性を突き止める。

 といっても本書は、マンハント事件を追う警察小説の枠には収まらず、犯罪者を一時的に宿泊させるキンブルホテルのエピソードや、高級娼婦だった母をマンハンティングで殺された少年の復讐劇などが同時並行して描かれるだけに、先が読めないスリリングな展開が続く。

 やがて戦後の日本を動かしてきた巨大組織の存在が浮かび上がり、その先には真の悪とは何か、悪に加担しないためには何が必要か、そして正義とは何かの問い掛けがあるので、壮大なのに身近なテーマに驚かされる。

 江戸川乱歩と横溝正史が猟奇的な不可能犯罪に挑む長江俊和『時空に棄てられた女 乱歩と正史の幻影奇譚』(講談社)は、ミステリ好きは必読の一冊である。

 記憶が混乱した井川和真は、通学用バッグから油紙に包まれた女の生首と手書きの原稿用紙の束を発見。事態を把握するため横溝が書いたらしい原稿を読み始める。

 昭和二十九年。乱歩に呼び出された横溝は、大学教授夫人で二人のファンだという鬼塚貴和子と探偵小説談義に花を咲かせた。一カ月後、貴和子が殺され首を切断された状況で見つかる。事件現場は鬼塚教授の治療を受けていたXが家族全員を殺した実家で、Xは三年前に病院を脱走し現在も行方不明だった。ここまで読み進めた和真は、女の生首が貴和子に似ていると気付くが、何十年も前のものとは思えない。やがて美青年のX自身が、時空を操る能力を持っていると信じていた事実が判明する。

 物語は、貴和子の首切り殺人と時空を超えたかのような生首の出現という怪奇幻想色の濃い二つの謎を軸に進む。その中に、日本の探偵小説を発展させた同志でライバルだった乱歩と横溝の史実に沿った関係性、首切りトリックの分析、探偵小説の歴史や意義、批判的見解といったミステリ論などが織り込まれていくので興味が尽きない。二つの謎は論理的に解明され、広げに広げた大風呂敷が鮮やかに畳まれる終盤はカタルシスも大きい。

 零余子『夏目漱石ファンタジア』(富士見ファンタジア文庫)は、第三十六回ファンタジア大賞の大賞受賞作。

 修善寺の大患(作中では病気ではなく暗殺)で死んだ夏目漱石が、森鴎外と野口英世による脳移植で婚約者だった樋口一葉の身体で甦り、神田高等女学校の教師になるという奇想天外な物語は、一葉の身体を冷凍保存していたのが星一(星製薬の創業者で星新一の父)で、ロボット学天則を開発した西村真琴が登場し、漱石の勤務先が神田高等女学校なのは、漱石『こゝろ』の刊行でスタートした岩波書店の創業者・岩波茂雄が教師をしていたのを踏まえた設定と思われるなど、近代史と近代文学史を換骨奪胎した架空の歴史が紡がれるので、元ネタを知っているととにかく笑える(作中には史実と虚構を解説するコラムがあり、知識がなくても楽しめる)。さすがに山田風太郎の明治ものほど緻密に虚実の皮膜を操ってはいないが、言論の自由を守る武装組織「木曜会」を結成していた漱石と護衛役の禰子が繰り広げるアクションもあれば、漱石と教え子の百合(漱石が女性として甦る設定はTSものといえる)萌え展開もあれば、作家の脳を奪うブレインイーターを捜すミステリの要素もあるので、一気に読めてしまうだろう。国家と戦い、良妻賢母教育に叛旗を翻す漱石を通して、表現の自由、女性の自立の重要性などをさりげなく織り込んだのも見事だった。

 時代小説をメインにしてきた泉ゆたかの初の歴史(評伝)小説『ユーカラおとめ』(講談社)は、一九二二年にアイヌ民族が謡い継いできた叙事詩ユーカラの中から十三編を選び、ローマ字で音を起こし日本語訳を付けた『アイヌ神謡集』(初版は一九二三年に郷土研究社から刊行。現在は岩波文庫で入手可)の校正を完了した直後に十九歳の若さで亡くなった知里幸惠の後半生を描いている。

 旭川で暮らす伯母の金成マツの下で育ちアイヌ語と日本語が堪能な幸恵は、アイヌ語を研究する金田一京助に手伝いを頼まれ上京する。アイヌの文化を後世に残したい幸恵は、アイヌへの差別語を口にする金田一を批判するが、その一方で、コタンピラのユーカラの調査に協力するため金田一に招かれたアイヌたちの粗野な姿に眉を顰めるなど、近代化の影響も受けていた。アイヌであることに誇りを持ち伝統と文化を守りたいが故に、日本が押し進めた同化政策に翻弄される幸恵の姿に触れると、アイヌを先住民族と明記し、差別の禁止や民族としての誇りを持って生活できる社会の実現を目的にしたアイヌ施策推進法が、なぜ必要だったのかもよく分かる。

 宮内悠介『国歌を作った男』(講談社)は、多彩なジャンルの十三作を収録した短編集だ。

 移民三世としてニューヨークで生まれた天才プログラマーが、国歌と呼ばれるほど広まり親しまれたゲームのテーマ曲を世に送り出すまでをルポルタージュ風に追った表題作は、国家とは何か、民族とは何かに切り込んでいた。冷蔵庫にあった食材で美味しい料理を作る連続家宅侵入犯を追う「料理魔事件」は、動機に捻りがあるミステリ。MSXのBASICでゲームを作ってプログラミングの腕を磨き、従兄弟とゲーム製作会社を作るも会社存続のためゲーム以外の開発をするようになった男を主人公にした「夢・を・殺す」は、夢が遠くなり現実を受け入れる切なさが描かれ、MSX世代の五十代は身につまされるだろう。元本因坊の祖父から囲碁を教わるも中学受験に専念して合格した後に進学先でついていけなくなった少女が、脳に繋がれた機械を通して植物状態の祖父と再び囲碁を打つ「十九路の地図」は、優れた青春小説である。『盤上の夜』『月と太陽の盤』『ラウリ・クースクを探して』といった他の宮内作品とリンクする収録作もあり、本書を足がかりに読書の幅を広げて欲しい。

 大河ドラマ『光る君へ』では、毎熊克哉演じる猿楽師にして盗賊の直秀が、狂言廻し的な役割を担っていた。この直秀のモデルと思われるのが、貴族にして盗賊で捕縛時に刀で腹部を切り、その傷が原因で死んだ藤原保輔である。赤染衛門が主人公の『月ぞ流るる』に続く平安ものとなる澤田瞳子『のち更に咲く』(新潮社)は、保輔の妹・小紅が、兄の死の謎を調べるミステリである。

 娘の彰子を一条天皇の中宮にし男子の出産を待ち望む最高権力者・藤原道長の私邸で下臈女房をしている小紅は、都を荒らす盗賊・袴垂が死んだはずの保輔という噂を聞く。探索を始めた小紅は、袴垂を動かしているのは道長への憎しみであり、その怨念を生み出しているのが敗れれば浮かび上がるのが難しいが故の凄まじい権力闘争と知る。和泉式部の恋の相手の傾向、道長の北ノ方である倫子と保輔の隠された関係なども謎にからんでロマンとサスペンスに満ちた展開が続き、歴史の独自解釈も面白く歴史ミステリとしても楽しめる。本書のような生死、人生を左右するような権力闘争を経験する読者は少ないだろうが、生きていれば争い、競争と無縁ではいられない。敗者の怨念の物語は、勝った後、敗れた後にどのような選択をするべきかを考えさせられる。

 天童荒太『ジェンダー・クライム』(文藝春秋)は、タイトルそのままに性に関係する犯罪を描いている。

 男性被害者が全裸で縛られ殺された事件を担当するベテラン刑事の鞍岡は、若手の志波とコンビを組む。被害者には性的暴行を受けた跡があり、体内から「目には目を」と書かれたメモが見つかる。被害者の息子は三年前に大学の仲間と女性を暴行し準強制性交等罪で捕まったが、グループに有力政治家と繋がる親族がいて示談も成立したことから検察が起訴を見送っていた。この事件の被害者家族、加害者が怪しい動きを始め事態は混迷を深める。性犯罪の被害者とその家族が司法と社会の無理解で苦しむ現実を掘り下げたところは、読み進めるのが辛いほどだった。謎が解かれるにつれ、ジェンダーにからむ犯罪は性暴力に限定されず、意識せず行う性役割の押し付けや、日常的に使う言葉に隠された差別意識に思い至らない状況が、思わぬ犯罪の遠因になる現実が明らかになっていく。昔気質の鞍岡が志波らの影響を受け変化するように、価値観はアップデートできると気付かせてくれる。

角川春樹事務所 ランティエ
2024年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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