ホテルへの改装が計画……実在の刑務所を舞台にしたミステリ作品『奈良監獄から脱獄せよ』など 文芸評論家厳選した7作品を紹介

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  • 焔【ほむら】と雪【ゆき】 京都探偵物語
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エンタメ書評

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

文芸評論家・末國善己が、近代を舞台にしたミステリーや太平洋戦争を描いた歴史小説を紹介。歴史を知らねば人は過つという格言に思いを馳せつつ選んだ7作品とは?

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 ベテランの脚本家が第六九回江戸川乱歩賞を受賞した。三上幸四郎『蒼天の鳥』(講談社)は、実在の作家・田中古代子と娘の千鳥を探偵役にしている。

 一九二四年。長く上映禁止だったフランスの犯罪映画ジゴマが事実上解禁され、鳥取県での公開が決まった。千鳥と映画に行った古代子だが、火事で焼けたスクリーンから兇賊ジゴマが現れ、観客の男を刺殺した。殺人を目撃した古代子と千鳥は、ジゴマの手下らしき男たちに狙われながら事件を調べ始める。

 メインの舞台は岡山県を舞台にした横溝正史の金田一耕助シリーズを思わせる寒村だが、事件そのものは大都市で怪人が暗躍する江戸川乱歩の通俗長編に近く、そのギャップも面白い。終盤になるとアリバイ崩しもあれば、乱歩のデビュー作『二銭銅貨』を彷彿させるどんでん返しもあるので、冒険活劇としてはもちろん、本格ミステリとしても評価できる。

 友人の尾崎翠が後の代表作のモチーフを使って古代子に探偵法を教え、古代子の内縁の夫でコミュニストの涌島義博がアドバイザーになり、関東大震災が地方都市に及ぼした影響が事件の背後に置かれているなど、虚実の皮膜を操る手法も鮮やか。古代子が謎解きを通して女性解放を訴え、持たざる者たちの悲劇も浮かび上がらせるところは、現代と共通する社会問題を掘り下げたといえる。

 平井太郎(後の乱歩)を探偵役にした柳川一『三人書房』(東京創元社)は、第一八回ミステリーズ!新人賞を受賞した表題作を含む著者のデビュー作である。

 ミステリ好きなら、一九一九年に乱歩が二人の弟と始めた古書店の屋号がタイトルになっていると気付くだろう。乱歩は、買い取った古書の中から島村抱月を追って自殺した松井須磨子の手紙が見つかり、それが本物かを確かめる表題作、宮沢賢治の依頼で、有名な浮世絵研究者が贋作事件の首謀者か探る「北の詩人からの手紙」、屋根から侵入する奇妙な手口の土蔵破りを追う「謎の娘師」、岡倉天心が「化け物」ともいわれる秘仏の調査で金銭を受け取ったとの疑惑を調べる「秘仏堂幻影」、高村光太郎制作のブロンズ像が連続して破壊される「光太郎の〈首〉」に挑み、これらが後の名作の誕生秘話になるという趣向も興味深かった。それだけでなく、後に宮沢賢治が書く童話が事件解決のヒントになり、昭和初期に起きた浮世絵の贋作事件(春峯庵事件)で拘留された笹川臨風がモデルと思われる研究者の冤罪を晴らし、晩年の動向がはっきりしていない葛飾北斎の娘が何をしていたのかに切り込んだりと歴史の謎に独自の解釈を与えているので、歴史小説好きも満足できるはずだ。

 三上延『百鬼園事件帖』(KADOKAWA)は、内田百間(これは百閒が昭和初期に使っていた筆名)を探偵役にした連作短編集である。〈ビブリア古書堂の事件手帖〉シリーズの著者らしく、百間と夏目漱石、芥川龍之介らとの交流も謎解きの鍵として言及されていて、作中に出てくる小説を読んでみたくなるのではないか。

 大学で百間からドイツ語を学ぶ影の薄い甘木は、喫茶店で間違って百間の背広を持って帰ってしまう。それから甘木が漱石の『夢十夜』で描かれたような奇妙な夢を見始める「背広」、喫茶店で働く春代が気になっていた甘木が、百間におかしな娘に気をつけるよう助言され、病気見舞いに行った春代の家で人の言葉を話す猫を見る「猫」は、百間が卓越した観察眼で怪談めいた謎を合理的に解明する本格ミステリとなっている。続く「竹杖」と「春の日」は、ドッペルゲンガーや幽霊が跋扈する幻想小説色を強くしていく。ドッペルゲンガーは晩年の芥川を悩ませ、小説『歯車』のモチーフになり、百間も題材にした作品を発表している。不可思議な物語を通して百間と芥川の意外な関係性を浮かび上がらせていくので、近代文学が好きなら特に楽しめる。続きがあるような幕切れなので、シリーズ化を期待したい。

 大正時代の京都を舞台にした伊吹亜門『焔と雪 京都探偵物語』(KADOKAWA)は、病弱な露木が、頑強な肉体を持つ鯉城から聞いた話で推理する安楽椅子探偵ものである。

 二つの材木組合の対立が深まるなか、一方の組合を率いる男が、声は聞こえるが誰もいない怪異が起きている山荘で殺される「うわん」、鯉城が恋人を演じて依頼人に付き纏う男を撃退した直後、依頼人の家が放火され問題の男が焼身自殺する「火中の蓮華」、西陣で製織業を営む男が妻と弟と共に殺され近辺を荒らしていた強盗の仕業と思われたが、三人を殺した方法の違いから真相を見抜く「西陣の暗い夜」は、シンプルながら効果的な犯行方法にも、人間心理の不可解さを掘り下げた動機にも驚かされた。鯉城と露木の過去に着目した「いとしい人へ」と最終話「青空の行方」になると、従来のミステリにはない探偵役とワトソン役の関係性や、露木が謎解きをしていた意外な理由も判明するので、一種の探偵論、推理論としても興味深かった。

 二〇一七年に閉鎖されホテルへの改装が計画されている奈良少年刑務所は、一九〇八年竣工の奈良監獄(後に刑務所に改称。少年刑務所になるのは戦後)が前身で、ジャズピアニスト山下洋輔の祖父・山下啓次郎が設計した。和泉桂『奈良監獄から脱獄せよ』(幻冬舎)は、大正時代に二人の男が進めた脱獄計画が描かれている。

 京都帝大を卒業してミッション系の名門高等女学校の数学教師になった弓削は、生徒との恋愛を疑われないよう注意していたが、冤罪ながら自分を慕う生徒を殺したとして懲役二〇年の判決を受け奈良監獄に収監された。二年後、無期懲役刑の印刷工・羽嶋が入ってくる。羽嶋に組紐を作る刑務作業を教えた弓削は、ほかの囚人と距離を置こうとしているのに羽嶋に懐かれてしまう。コミュニケーションが苦手な弓削と、人懐っこい羽嶋という対照的な二人が、戸惑いながら仲を深めていくプロセスが濃密に描かれるだけに、冒頭から周到な計画を描く脱獄ものとは一線を画す構成になっている。やがて羽嶋も冤罪で収監されたと知った弓削は、典獄からの嫌がらせと看守の暴力で友人を亡くしたことに怒り、刑務作業で奈良監獄を建設した老囚人の夢をかなえるため脱獄を決意する。羽嶋を誘って実行された脱獄はあっさりしているが、計画を弓削が解説する場面になると、周到な伏線が張り巡らされ、シンプルで効果的なトリックが使われたことも分かるので、本格ミステリとしても秀逸である。

 冤罪で自由を奪われ、強権的な典獄の命令で低賃金の労働に従事する弓削たちは、ブラック企業で働く現代人に重ねられているように思えた。等身大の弓削が人生を切り開くため無謀な挑戦をする展開は、痛快だった。

 岩井圭也『楽園の犬』(角川春樹事務所)は、東大を卒業して横浜の高等女学校で英語の教師をしていたが、持病の喘息で療養を余儀なくされ、大学時代の友人の紹介で南洋庁サイパン支庁で働くことになった麻田を主人公にしている。麻田のモデルは南洋庁に勤務するまでの経過が似ていて、パラオでは島民の教育を担当するが日本人の傲慢さに絶望し、帰国後は作家で植民地政策批判を行ったスティーヴンソンに傾倒した中島敦と思われる。

 麻田がサイパンに行ったのは、日中戦争の膠着化で地下資源が豊富な東南アジアを支配下に置く南進論が国策になった一九四〇年である。日本の南進はアメリカとの軋轢を生み、太平洋の島々には各国がスパイを送り込んでいた。南洋庁を紹介してくれた男は海軍の堂本少佐に従うよう命じ、麻田は諜報戦に巻き込まれていく。

 まず麻田は、独自の組合を作った鰹漁の大船長だったが自殺した玉垣が、アメリカのスパイだったのかを調べる。結婚を反対された沖縄の男性とチャモロの女性の心中事件は、現場に致死率の低い毒を持つ魚が置かれていた謎と島民の学校で働くローザのスパイ疑惑とがリンクし、さらに麻田はローザの養父がアメリカのスパイなのかも探ることになる。そのため不可解な事件を解明するミステリの要素もあれば、スパイ疑惑のある人物が逆に麻田を罠にかけようとするなど息詰まる頭脳戦もあるので、先が読めないスリリングな展開が楽しめる。

 堂本少佐に日米開戦の是非を問われた麻田は反対の立場を取るが、歴史の流れは変えられず戦争に突入しサイパンは激戦地になる。死を誉れとする当時の価値観に異議を唱えた麻田の勇気は、どんなに苦しくても命を投げ出してはいけないという想いを新たにしてくれる。

 中脇初枝『伝言』(講談社)は終戦に向かう物語。

 満州国の首都・新京にある名門の高等女学校に通う崎山ひろみは、戦況の悪化で勤労動員に駆り出され、巨大な紙をこんにゃくのりで貼り合せる作業を担当する。

 作業を教えてくれる女子挺身隊員を「お姉さま」と呼び、休憩時間には同級生と弁当を食べるところは戦前の少女小説のようなテイストがある。ただ主人公のひろみは、五族協和という満州国の理想を信じ、肩凝りがひどいのに真面目に働く模範的な軍国少女とされている。

 本書には、大工の棟梁と結婚し崎山家と家族ぐるみの付合いがある李太太、工場を指揮する東堂技術少佐の下で働く男が語り手になる章があり、それがひろみの信じる理想の満州国を相対化していく。やがてソ連が参戦し、無敵と思われていた関東軍は住人を置いて撤退し、ひろみは同朋と信じていた中国人に敵意を向けられ、母国とは思えない日本への引き上げを開始する。

 終戦前後に苛酷な経験をしたひろみは、自分が目にしたものの意味を深く考えず、兵器を作っていたのに人が死ぬ可能性に思い至らなかった創造力の欠如を悔いる。タイトルの「伝言」のように、同じ過ちを繰り返さないためにも、ひろみの想いを深く受け止める必要がある。

角川春樹事務所 ランティエ
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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