話すことはできないけど鉄道で世界とつながった! 自閉症の画家、福島尚さんの父母が語るこれまでの道のり
■鉄道マニアも唸る鉄道画を通して、新しい世界や人と出会う――
自閉症という障害を持つ福島尚さんは、ほとんど話すことができず、集団行動も苦手で、知識や技術を習得するにも長い時間がかかります。しかし大好きな鉄道については、すごい記憶力を発揮し、小さい頃から、こつこつ鉄道画を描き続けてきました。現在、そんな尚さんが描く緻密な鉄道画が、口コミで話題を集め、テレビ・新聞・ネットなど各メディアで大きな注目を集めています。
この度、初の作品集『福島尚鉄道画集 線路は続くよ』の発売を記念して、福島尚さんの成長をずっと見守ってきた、お父さんの清さん、お母さんのキヨさんにお話を聞いてみました。
――尚さんはどんなお子さんだったのですか?
母:家が線路の近くだったので、おしめをして、陸橋をよちよち昇って、上から列車を見てましたよ。2歳半くらいになると毎日線路の上に行っちゃうんです。
――鉄道の絵はいつ頃から描き始めたのでしょう。
母:絵は4歳頃から、相談学級の先生方が、自由に描かせてくれたんです。普通は見ながらじゃないと描けないような電車を記憶で描いちゃう。先生方は「自分の好きなものは、カメラのシャッターを押したように、頭へ入っちゃうのかな」とおっしゃってました。
――目盛の読めない尚さんが厚紙で作る、精緻なペーパークラフトもすごいです!
父:小学3年生の頃、鉄道模型を欲しがったんです。高価で、マニアのための本格的なものだったので買い与えませんでした。そしたら自分で厚紙とセロテープを使って作り出したんです。あのとき買い与えて満足させていたら、現在のように鉄道の紙工作に熱中することはなかったと思いますね。
――そんな尚さんに、絵とペーパークラフトを禁止したことがあったって本当ですか?
母:中学を卒業してから、基板を組み立てる工場に働きに行ったので、そちらに興味を向けたかったんです。それで、お父さんが一度、絵と紙工作を捨てたり燃やしたりしました。後からすごく反発して、荒れて荒れて大変でした。
父:社長を蹴飛ばしたりしたこともあったみたいです。
母:会社にもご迷惑をおかけしました。
父:しかし、禁止したといっても、尚はやめなかったんです。いまと同じように家に帰ってきたら、絵もペーパークラフトもこつこつ続けてました。
母:禁止したのは2年間くらいでしょうか。帰って来たら、好きなことをしようということにしたら、会社も元気に行けるようになって、残業もできるようになりました。その切り替えができるようになったのがよかったです。
――現在の尚さんは、規則正しい生活を送って、とても穏やかですね。
父:ここ数年は、いろんな場所で作品展をするようになり、その様子がテレビや新聞で紹介されるようになりました。
母:20歳頃、知的には6歳半と言われましたが、いまちょうど中学生くらいなんじゃないかと思うんです。中学生ってわりと冒険心が出てきますよね。
父:文字にも、興味が湧いて来たようで、私に「これはなんて書くか?」「なんて読むか?」と質問してきます。なんでいまごろ?と思いますが、いくつになったっていいんです。何かに目覚めて進歩がまだ続いているんです。