『日本帝国圏鉄道史』
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『日本帝国圏鉄道史 技術導入から東アジアへ』沢井実著
[レビュアー] 岡本隆司(歴史学者・早稲田大教授)
「鉄ちゃん」探究 満洲まで
「鉄ちゃん」の愛称は、すっかりおなじみになった。隔世の感もある。いつでもどこにでも出没する「鉄ちゃん」は、昭和の昔は「鉄道オタク」、評者のような浅薄な鉄道模型ファンですら、およそ日陰者扱いだった。
どうやら高尚な学術でも、傾向は同じである。鉄道は歴史学でも重要テーマ、数多(あまた)の考察を経てきた。かつては運輸物流や経済効果のレベル・関心だったのに対し、現在は異なる。本書は動く鉄道そのものを相手取って調べ尽くした「鉄ちゃん」さながらの学術書であり、その及ぶ範囲は列島内部にとどまらない。
徹底してヒトとモノ、専門技術と開発製作に密着して史実を紡ぎ出す。歴史にありがちな抽象概念はほとんどない。それにしても技術者の業績・経歴から企業・工場の組織・経営、個別技術の習得から実地の適用、設計・工事の経過から車輌(しゃりょう)の型番に至るまで、ここまで精細にわかるのか、と開いた口がふさがらなかった。
模型ファンの中国史家の興味津々だったのは、旧「満洲」・現中国東北の吉林と敦化を結ぶ吉敦(きっとん)鉄道の敷設である。契約・設計から調査測量、起工・建設から経営営業、そして満洲事変の勃発。とりわけドキュメンタリー映像とみまがう隧道(トンネル)・橋梁(きょうりょう)の難工事の論述からは目が離せなかった。そして著者は、厖大(ぼうだい)な労働をこなし「各種事業ノ基礎」となった「中国人苦力(クーリー)」の存在に着眼、その由来に「満鉄鉄道部が思いをはせた様子はうかがわれない」と記すのを忘れない。
鉄道技術の導入から伝播(でんぱ)が語るインフラ史は、忠実に「帝国」形成の歴史過程をなぞっていた。「帝国圏」の「骨格」の「自画像」でもある。「骨格」組織がありありと見えて、見えない部位の所在もまた明らかになった。
帝国日本崩潰(ほうかい)の病巣は、それならどこにあったのか。「鉄ちゃん」さながらの「自画像」描出は、それだけでは描けない「苦力」はじめ「外地」という部位究明の課題もつきつけている。(名古屋大学出版会、6380円)