壮大なスケールの本家父長制の起源を「魔女狩り」に見出す

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キャリバンと魔女

『キャリバンと魔女』

著者
シルヴィア・フェデリーチ [著]/小田原 琳 [訳]/後藤 あゆみ [訳]
出版社
以文社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784753103379
発売日
2017/02/01
価格
5,060円(税込)

書籍情報:openBD

壮大なスケールの本家父長制の起源を「魔女狩り」に見出す

[レビュアー] 山森亮(同志社大学教授)

 壮大な本である。本書は、私たちが経験している家父長制という抑圧の(一つの)起源を、ヨーロッパとヨーロッパに侵略された南北アメリカで猛威をふるった「魔女狩り」に見出す。カール・マルクスの「本源的蓄積」論や、ミシェル・フーコーの「身体の規律化」論を参照しつつも、そのジェンダーへの鈍感さを厳しく問い直していく。
 資本主義的生産に必要不可欠な、マルクスいうところの二重の意味で自由な労働者は、魔女狩りなしには生まれてこなかったと著者は論じる。勝者が書いた歴史の行間から、共有地の私有化に抗する運動、女性が主に担ってきた伝承知などを救い出し、資本主義とは別の新しい発展の可能性があったことを見出す。これらを根絶し、女性の価値を切り下げることによって、はじめて資本主義は可能になったと、著者は論じる。
 といっても本書はたんなる歴史書でもない。著者シルヴィア・フェデリーチの問題意識は極めて現在的なものである。「今ここ」の抑圧と闘うためには、どのような射程の認識が必要となるのか――。著者は、マリア・ローザ・ダッラ・コスタ、セルマ・ジェイムズらと共に、1970年代に国際的な「家事労働に賃金を」キャンペーンを担った。キャンペーンの背後には、以下のような切実な問いがあった。なぜ家事や介護などは大部分が女性によって担われているのか。どうしてそれらの営みは労働として認知されないのか。こうした問いを発するなかで、抑圧の根源を非歴史的な概念としての家父長制に求めるラディカル・フェミニズムの視角にも、諸悪の根源を資本主義に還元していく社会主義フェミニズムの視角にも飽き足らず、新しい認識の枠組みを目指すこととなる。
 また著者は世銀による構造調整政策吹き荒れる1980年代のナイジェリアで、共同体の解体と女性嫌悪キャンペーンが手を携えて進行する事態に遭遇する。16世紀であれ現代であれ、資本主義が土着の人びとの共同の営みを解体し、抵抗を根絶やしにする必要にかられた場合に、魔女狩りが行われたのではないか、というのが著者の提示する仮説である。
 書名に含まれる「キャリバン」とは、シェイクスピアの『テンペスト』に登場し主人公プロスペローに対峙する怪物である。「繁栄」を連想させるプロスペローと、「人食い」を連想させる「キャリバン」はヨーロッパの視点からみた植民者と非植民者をそれぞれ代表しており、ポスト・コロニアリズムの論者たちはキャリバンに自らを重ね合わせた。エメ・セゼールは、『もうひとつのテンペスト』のなかでキャリバンにマルコムXを憑依させ、妖精エアリアルにキング牧師を重ね合わせている。
 キング牧師は、ベーシック・インカムを要求した黒人女性たちの福祉権運動の女性たちに学び、自らも同じ主張をするようになった。著者のフェデリーチも(本書とは別の場所で)「家事労働への賃金」要求は、彼女たちから学んだものだと述べる。そしてそれらの運動が現代のベーシック・インカム要求に繋がっているとも。(だとすればキャリバンの母で魔女と記述されるシコラクスに彼女たちを重ね合わせることができるかもしれない。)
 評者は2002年より1970年代にベーシック・インカムを主張していたイギリスの労働者階級の女性たちの聞き取り調査を行う過程で、著者の活動家としての足跡や著作に遭遇し、本書の原著を2004年の出版直後に入手した。しかし本書のような壮大なスケールの本を消化する英語力を持ち合わせておらず、読み進められないまま時間ばかりが経過してしまった。
 今回、中世の宗教戦争や農民反乱から、科学哲学史や社会思想史、現代のフェミニズムやポストコロニアリズムにいたる広範な知識が必要となる翻訳作業を遂行し、同種の学術書としては奇跡的に読みやすくかつ正確な日本語を紡ぎ出した二人の訳者に感謝したい。評者は一気に読んだ。

週刊読書人
2017年4月28日号(第3187号) 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読書人

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