それは、男性の目を逃れた愛の共同体だった

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最愛の子ども

『最愛の子ども』

著者
松浦 理英子 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163906362
発売日
2017/04/26
価格
1,870円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

それは、男性の目を逃れた愛の共同体だった

[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)

 大事なのは声だ。たとえば、修学旅行先のアイヌ村で聞いた歌の力強さに感銘を受けた少女たちは、和人のバスガイドが歌う、古い歌謡曲のようなアイヌの曲を非難する。なぜか。彼女たちもまた、他者に一方的に語られる存在だからだ。

 主要な登場人物は三人だ。きらめく声を持つ空穂(うつほ)、教師に反抗しがちな真汐(ましお)、独特の触れ方で二人をなつかせる日夏(ひなつ)。だが高校の女子クラスで展開する彼女たちの物語を語るのは本人ではない。「わたしたち」と名乗る同級生たちの声だ。

「わたしたち」は三人の愛の関係を妄想混じりに解釈し、そこに空穂(王子)、真汐(ママ)、日夏(パパ)という家族を見る。そして空穂と日夏が濃密な愛撫を交わし、日夏と真汐が友情を超えた繋がりを持っているにもかかわらず、彼女たちを、「レズビアン」とは呼ばない。

 それだけではない。「わたしたち」は女であることさえ拒否する。そしてフィクションを「男にも女にも乗り移りながら読む」力を誇示するのだ。ならば「わたしたち」が作り上げようとしているのは、社会的に力を持つ男たちの性的な目を逃れた愛の共同体なのではないか。

 作品を読み進めるにつれ、三人が現実の家族において不幸をかかえているとわかる。ならば「わたしたち」が三人に妄想を重ね書きすることで喜びを引き出しているだけでなく、三人もまた、その妄想に支えられているのではないか。ここには、語る者と語られる者の幸福な一体性がある。

 しかしもちろん、その一体性は長くは続かない。高校は三年で終わってしまうし、少女たちはやがて男性たちと向い合うことになる。ではどうすればいいのか。「心を鍛えるだけでは幸せに生きていくのに充分ではないのだ」という真汐の言葉が心に響く。大切なのは、いまだ名前を持たない領域で、柔らかくあり続けることなのだ。松浦理英子の教えは優しくて深い。

新潮社 週刊新潮
2017年5月25日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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