愛や喜びも崩れ去る人間関係の力学
[レビュアー] 都甲幸治(翻訳家・早稲田大学教授)
意識を取り戻したオギは、自分が病院のベッドに寝ていることに気づく。全身が動かず、ただ瞬きができるだけだ。どうしてこうなったのか。離婚寸前の妻と車で高速道路を走っているとき、口論の末もみ合いになり、そのまま前の大きな車にぶつかったのだ。
身寄りのないオギは、自宅で義母に介護してもらうことになる。事故で即死した娘だけが生き甲斐だった義母は、オギの浮気を記した娘のメモを発見して復讐の鬼と変わる。熱心に世話をしているふりをしながらヘルパーや理学療法士を辞めさせ、オギの財産を祈祷師に費やし、徐々に食事も与えなくなる。弱り切ったオギは回復した両腕の力だけで家を抜け出す。けれども途中で義母に発見され、彼女が庭に掘った大きな穴へ追いつめられる。
二〇一七年度にアメリカのシャーリイ・ジャクスン賞を韓国人として初めて受賞した本作は十分に怖い。グロテスクな描写で知られるヘヨンの持ち味がふんだんに発揮されている。だがその怖さは、幻想の怖さというよりもっとリアルなものだ。
大学教授としてキャリアを積み重ねてきたオギに比べ、妻はなにをしてもうまくいかない。才能はあるのだが、あと一歩のところで失敗してしまう。自分への怒りは夫への嫉妬に変わり、彼を口汚く罵り続け、ついにはオギの裏切りを妄想する。もっとも、あとで妻の妄想に導かれるように、オギは実際に浮気するのだが。
オギを苦しめる義母もすごい。日本と韓国の血を引き、中学まで日本で育った彼女は、韓国語が上手にしゃべれず寡黙になる。「奥ゆかしく上品だが胸のうちがわからない義母」。それは韓国から見た日本人の姿そのものだ。胸の内をさらけ出せない二人は、限りなく疑い合うという悪循環に陥る。
愛や喜びで始まったはずの人間関係は、どんなふうに崩れ去るのか。本書はその力学を嫌になるほど教えてくれる。