晴れやかな日よ
[レビュアー] 梓林太郎
今回、松本を書くにあたってあらためて市内をめぐったが、きれいな街であるのを再認識した。もう昔といっていいだろう。私はこの街の一角で二年間を送ったので、懐かしいはずだが、極端に貧しかったせいか、薄暗い記憶だけが濃く残っている。
大学に入ったとき、入学金と半年分の下宿代を父は払ってくれた。だがその後の仕送りは一切なかった。父は私に、「甘えるな」という思いがあったらしいが、私は小遣いどころか日々の暮らしに苦しんだ。後にこのことを人に話したら、「アルバイトをすればよかったのに」といわれた。アルバイトの口があるのは都会のことだ。当時の松本でのアルバイトといったら、徹夜の土木工事か、山から丸太を里に出す数日の山仕事ぐらいなもの。家庭教師がなくはないが、それは市内の選ばれた家庭へ選ばれた学生のみが招かれるもので、薄汚れた凡百の学生のところにはまわってこない。
入学半年後から私は、下宿を追い出される夢に怯えつづけた。
同じ下宿にいる学生の郷里は遠かったが、彼らには郷里の産物がしょっちゅう送られてきていた。私からは彼らに返す物はひとつもなかった。
親からまったく仕送りのない私を気にかけた下宿の主人が、父宛てに、「いかに苦学生といえども、まったく現金を持っていないと暮らしていけない」という意味の手紙を送ってくれた。だが父からは、仕送りどころか手紙に対しての返事さえこなかった。
朝食の席。下宿の主人は学生たちに向かって訓示をたれる日があった。「林君(私の本名)。下宿代を払っていないからといって卑下するんじゃないぞ。胸を張って飯を食え。やがて払えるときがきたら、返してくれればいい」私の喉には飯が通らなかった。