貧困、性、そして家族……つながれてきたバトン 窪美澄×一木けい〈女による女のためのR-18文学賞出身作家対談〉

対談・鼎談

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じっと手を見る

『じっと手を見る』

著者
窪美澄 [著]
出版社
幻冬舎
ISBN
9784344032750
発売日
2018/04/05
価格
1,540円(税込)

1ミリの後悔もない、はずがない

『1ミリの後悔もない、はずがない』

著者
一木 けい [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103514411
発売日
2018/01/31
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【女による女のためのR-18文学賞出身作家対談】窪美澄×一木けい つながれてきたバトン

一木けいさん
一木けい(いちき・けい)
1979年、福岡県生まれ。2016年「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。受賞作を所収した『1ミリの後悔もない、はずがない』が、椎名林檎氏の絶賛を浴び、話題に。

デビューしてから変わったこと

─窪さんが『ふがいない僕は空を見た』を出された二〇一〇年と現在とで、ご自身を取り巻く状況で変わったと思われることはありますか?

窪 そうですね、貧困が普通にあることとして一般的に知られるようになってきたのかなと思います。一木さんのデビュー作の中では由井の描写に対して、こんな子どもはいないとは言われないですよね? こういう子もいるという認知が進んでいる証拠だと思います。

一木 窪さんが「セイタカアワダチソウの空」を書いて、切り開いてくださったからだと思います。高度経済成長とかバブルとか、日本全体の景気が良かった豊かな時代を知らない若い世代の方が増えてきていますよね。息が詰まるような日常を身近なものとして知っていて、それを書ける窪さんや私にとっては、少し有利になってきているのかもしれません。

─では、状況ではなくご自身の中で、デビューされてから変わったことはありますか?

窪 『ふがいない僕は空を見た』を書いてからしばらくは、私生活が小説の内容に引きずられることが多くありました。そうしているうちに心のバランスを崩し、体調を壊してしまった時期もあったんです。特に『さよなら、ニルヴァーナ』(文藝春秋)を出した二〇一五年頃は鬱も再発してしまって、これではまずいと思いました。生きていくためには小説を書いていかないといけない、でもこのままだと小説が書けなくなってしまう、そういう危機を感じて、意識して小説と私生活を分けるようにしました。そして最近ようやく「書くぞ」というときに、体と心を普段のモードから「執筆」というチャンネルにがちっと合わせて、その小説の世界に入っていけるようになりました。おかげで生活にもメリハリがつけられるようになっています。

一木 『さよなら、ニルヴァーナ』は私も大好きです。あの作品は読んでいるほうも引きずり込んでしまう強い引力を持った小説ですよね。窪さんのように、小説と私生活を意識して分けられるようになれるでしょうか。私も結構入り込んでしまうほうだと思います。

窪 そうですね。私にとっては『さよなら、ニルヴァーナ』が転換点でした。あの執筆をきっかけにいろいろな意識を変えようと決めましたね。でも、実際に切り替えられるようになるまでは、それから二年くらいかかりました。

一木 私は読み手として、体と心を削いだ小説に惹かれてしまうんです。だから自分でもそういうものを書きたいと思ってしまうところがあります。危険でしょうか。

窪 うーん、それを突き詰めていくと、玉川上水に飛び込んでしまうような……。太宰は大好きですが。

一木 じゃあ私だったらバンコクのチャオプラヤ川に……汚くて臭いし嫌ですね(笑)。深くて底が見えないから発見してもらえないかもしれない。やっぱりそうならないようにしないと。

窪 きちんとご飯を食べて、寝て、そしてできれば同業者の人と話してガス抜きをしたりしてほしいですね。

一木 同じく第十五回で大賞を受賞してデビューした町田そのこさんが、私より早く本を出されたのはとても刺激になりました。町田さんも、友近賞だった笹井都和古さんも今月号に執筆をされると聞いて、とても心強く思っていますし、読むのが楽しみです。たまにメール等で連絡を取り合って切磋琢磨しています。

─窪さんの新刊『じっと手を見る』(幻冬舎)はどのようにして生まれた小説なのでしょうか?

窪 私は、デビューしてからも二年くらいは小説の執筆と並行して、ライターの仕事も続けていました。受賞してから初めての打ち合わせで「小説で食べていける保証がないので仕事を辞めないで」と編集者から言われていたんです(笑)。そのライターの仕事のひとつに、地方にある介護福祉士の専門学校のパンフレットを作るという仕事があったんです。まさにこの小説に出てくるように、実際に専門学校の生徒さんたちに東京から来たライターとしてインタビューをしました。そこで話を聞いていたらけっこうショックなことが多かったんです。高校を出たばかりの若い子が「ここで介護福祉士という仕事に就けば、これから先、自分が生活していくだけのお金が稼げる」ということを第一に考えている。これから高齢者が増えて、世話する人もどんどん必要になるから、介護福祉士という仕事はなくならない。だから介護福祉士を目指すという若い人たちがいるということを目の当たりにして衝撃を受けました。それに、二十歳前後の若い人たちが、死に近いところにいる高齢者の世話をしているという現実の風景にも驚いて……。私にとっては、そのとき抱えていたいくつかの仕事のうちの一つだったので、それなりの気持ちで行ったのですが、この現実がすべてだという若い人たちを見たことがずっと忘れられなくて、それがきっかけで生まれた小説です。

一木 私は「水曜の夜のサバラン」がすごく好きで、入り込んで読んでしまいました。こういう日常が確かにあるなあって。偽悪的な主人公で、けっして良いことはしていないんですけど、応援したくなるんです。同時に、別れた旦那や父親がもう、悲しくて悲しくて。お父さんという存在そのものについて、とても考えさせられました。主人公の立場に立つと確かにイラッとするんです。たとえば元旦那は今頃になって父親の自覚が芽生えたようだけど、それでも、いちばん大変な時期を育てたのは主人公なんですよ。それをわかってるのか、って。腹立たしいのに、彼の苦しみも伝わってくる。即物的で弱くたって戦わなきゃいけなくて。お父さんて、本当に悲しい。

写真=菅野健児

新潮社 小説新潮
2018年5月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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