貧困、性、そして家族……つながれてきたバトン 窪美澄×一木けい〈女による女のためのR-18文学賞出身作家対談〉

対談・鼎談

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じっと手を見る

『じっと手を見る』

著者
窪美澄 [著]
出版社
幻冬舎
ISBN
9784344032750
発売日
2018/04/05
価格
1,540円(税込)

1ミリの後悔もない、はずがない

『1ミリの後悔もない、はずがない』

著者
一木 けい [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103514411
発売日
2018/01/31
価格
1,540円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【女による女のためのR-18文学賞出身作家対談】窪美澄×一木けい つながれてきたバトン

一木けいさんと窪美澄さん
(左)一木けいさんと(右)窪美澄さん

2002年に「女性が書く、性をテーマにした小説」を広く募集するべく生まれた「女による女のためのR-18文学賞」。リニューアルを経て今年で17回目を迎え、歴代の受賞者は35名に及ぶ。「ミクマリ」で第8回の大賞を受賞し、現在小誌で「トリニティ」を連載中の窪美澄氏と、「西国疾走少女」で第15回の読者賞を受賞し、本年1月に受賞作を含むデビュー作『1ミリの後悔もない、はずがない』を刊行した一木けい氏が語った、本賞への思いやデビューの心構えとは。

 ***

「貧困」を描いたデビュー作への反響

一木 『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)の書評を「波」二月号に書いてくださってありがとうございました。『ふがいない僕は空を見た』(新潮社)を拝読して以来、ずっと窪さんのファンだったのでとても嬉しかったです。特に「セイタカアワダチソウの空」には心を鷲掴みにされました。

窪 改めまして、デビュー作の刊行おめでとうございます。また、そうおっしゃっていただけて嬉しいです。「セイタカアワダチソウの空」は『ふがいない僕は空を見た』の中でも一番反響のあった小説でした。書評でも書きましたが、あの小説を出した二〇一〇年当時、「こんな子どもが今の日本にいるものか」という感想があって驚いた覚えがあります。一木さんも同じように困窮した子どもを書いていらっしゃいますが、そういう声はありませんでしたか?

一木 少なくとも今の時点ではありません。そして、窪さんの作品に対してそんな感想があったということにびっくりしました。

窪 そうなんです。最近は貧困児童の問題がクローズアップされてきていますけれども、たった八年前ではありますが、当時はそういう子どもがいるということを知らない人が多かったんです。『1ミリの後悔もない、はずがない』を拝読したとき、今まさに貧しい状況にある子どもの現実が描かれていると感じました。十代の男女の恋愛の物語でもありますが、私は、自分の望んでいない状況に、自分のせいではなく巻き込まれている子どもたちの姿に引き込まれました。

一木 私も『ふがいない僕は空を見た』を拝読したとき、まったく他人事ではないと思いました。通じる部分があるように感じています。『やめるときも、すこやかなるときも』(集英社)の真織と桜子も、経済的に貧しい家に育っていて、私には他人と思えませんでした。実は、『やめるときも、すこやかなるときも』を拝読したのは『1ミリの後悔もない、はずがない』を書き上げた後だったのですが、お楽しみとしてとっておいて良かったと思いました。私の小説にも少し似た登場人物が出てくるので、もしこれを先に読んでいたらストーリーを無理矢理にでも変えていたと思います。

窪 小説の登場人物やその背景が似てしまうのは、私も一木さんも、経済的に困窮している家庭の風景をよく知っているし、実際にそういう中で暮らしている人たちがいるということを特別なことだと思っていないからだと思います。取材に来られた方によく「どうしてこんなに悲惨な人たちを、敢えて書こうとしたんですか」と聞かれることがありますが、そういうことを聞かれる理由が、むしろ分からない。敢えて書いているわけではなく、当然のこととして書いているだけなんです。私たちは、完全な球体みたいな家庭なんてないというところから始まっているから……。

一木 確かに。世間の常識がそちら側にあるということにびっくりすることがあります。

窪 小説とは、何かが少し欠けている人の為のものではないかと思うんです。SNSで充実している生活を見せつけられて、それに対して引け目を感じるような気持ちが行き着く先が、小説なんじゃないかなと。SNSにもあげられない、人にも話せない、もやもやしているけれど表現出来ない、何とも名付けられない気持ちを、一木さんの小説はうまく書いていらっしゃると感じました。これから先、小説はそういうものをすくい上げるためにも必要になってくるのではと思っています。私は、書いているうちに、世の中を低いところから見たことがあるかどうかということを審査されているような気になる時があります。あなたの目線はどこにありますか? と読者を通じて問いかけられているような気がするんです。

一木 窪さんご自身が、そういう視点で小説を読まれることがあるからではないでしょうか。読んでいるとき、この小説に描かれている辛さや痛みを私も知っている、と思える小説はやっぱり心に残ります。自分でも、そういう小説を書きたいと思っています。

写真=菅野健児

新潮社 小説新潮
2018年5月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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