オーラルヒストリーの舞台裏――本書の刊行経緯と特徴

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戦後社会保障の証言

『戦後社会保障の証言』

著者
菅沼 隆 [編集]/土田 武史 [編集]/岩永 理恵 [編集]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174351
発売日
2018/04/04
価格
6,048円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

オーラルヒストリーの舞台裏――本書の刊行経緯と特徴

[レビュアー] 田中聡一郎(関東学院大学講師)/岩永理恵(日本女子大学准教授)/土田武史(早稲田大学名誉教授)/菅沼隆(立教大学教授)

 コーナーの名は「自著を語る」であるが、本書は、厚生官僚20名のご協力によってなりたった証言集である。また解題を執筆した分担研究者(浅井亜希、中尾友紀、新田秀樹、深田耕一郎、百瀬優、森田慎二郎、山田篤裕)との共同作品である。以下は、本書が多くの人々の支えによって生まれたことについての覚え書きであり、またオーラルヒストリーの書籍としての本書の特徴を記したものである。

プロジェクト事始め

 戦後の国家的プロジェクトである国民皆保険・皆年金体制は、どのように形成され、どのように運営されてきたのか。これまでも制度史の研究は多くあったが、社会保障の構想や制度案の取捨選択など立案プロセスまで明らかにした研究は少なかった。そうした制度立案の舞台裏は、厚生省の『年史』等の行政文書には、描かれにくいためである。その一方で、オーラルヒストリーの研究手法が、政策研究においても導入が進んでいた。なかでも、テーマオーラルヒストリー(特定の政策課題について複数の関係者に聞き取りを行う)という研究手法は、社会保障制度の形成過程を明らかにするのに適しているように思えた。
 このプロジェクトの発案者は田中であった。田中は、戦後社会保障の証言アーカイブズを作る必要性を感じていた。厚生官僚の証言記録から制度形成プロセスを解明し、今日の社会保障改革論議に歴史的視座を提供することに、学術的・政策的意義があると考えた。そこで、土田と菅沼に提案し、プロジェクトの準備が開始された。
 2013年度、社会福祉学、経済学、法学の11名の研究者が集い、科研費プロジェクト(研究代表:菅沼)を開始した。今から5年前のことである。国民皆保険・皆年金に関わった厚生官僚はすでに高齢になっておられ、研究を開始するにはギリギリのタイミングであったようにも思う。
 じつは研究班にはオーラルヒストリーの経験者がひとりもいなかった。そこで、御厨貴氏らの政治学者の概説書から方法論を学び、また労働史オーラルヒストリーを手がけた島西智輝氏から実践的なレクチャーを受けた。先達のオーラルヒストリー研究者の啓蒙活動は、新たに取り組む者にとって共通の学術的基盤となっている。私たちも、その知的恩恵のおかげで、研究をスムーズに開始できたのはたいへん幸運であった。

聞き取りの下準備――合意を得る、質問表を作る

 スタートは、証言者の選定と合意を取りつけることである。まず、重要改革を担当した局長・課長のリストを作り、当時の様子の聞き取りをお願いすることから始めた。本音をいえば、証言の候補者から合意を得ることは、なかなか難しいのではないかと感じていた。というのも、社会保障は常に政治的論争になりやすいテーマであり、いまだに国会では、何十年も前の厚生官僚の発言を引用した質問が出ることもある。「後輩に迷惑をかけたくない」という断り文句で、謝絶されてしまうのではないかと考えていた。
 しかし、5年間で(本書には掲載されていない方も含めて)22名の厚生官僚に聞き取りの了解を頂いた。(健康上の理由以外で)断られたのは、じつは1名だけである。難しい説得役を担ったのは、社会保険は土田であり、社会福祉は岩永であった。ふたりはそれぞれの人脈を生かし、オーラルヒストリーを残すことの学術的意義について語り、了解を取り付けた。オーラルヒストリーの記録は、今後の社会保障制度の発展にも貢献できるのではないかという私たちの説得は、証言者の方々にも、おおむねご了解を頂けたように思う。
 次の準備は、質問表の作成である。その作業を主に担ったのは若手研究者である。児童手当は浅井、高齢者福祉・介護保険は深田、年金は中尾・百瀬、生活保護は岩永が担当し、また事務局の田中は取り纏め役として全般的に関与した。またその際、質問表作成のベースになったのは、事務局に提供がなされた佐口・土田蔵書である。その蔵書は、社会保障制度審議会などで委員を務めた故佐口卓氏(早稲田大学名誉教授)の保存資料を引き継ぎ、そして土田の蔵書を追加したものである。その蔵書は戦後社会保障史の宝庫とでも言うべきものであった。事務局は、非売品の厚生官僚の『追悼録』や約65年分の『週刊社会保障』などをフル活用し、質問表の作成を行った。

聞き取りの現場――整理だった話しぶりと聞き手の役割

 いよいよ、聞き取りの本番である。どの聞き取りにおいても、雰囲気は和やかであったように思う。その一方で証言の特徴としては、官僚として国会答弁やメディア対応をしてきた経験と技術に裏打ちされて、引退してもなお、整理だった話しぶりであった。多くの方は、聞き手の質問に答えることのみに徹する。少数派であったが自ら話題を振る場合でも、話すべき範囲を予め決めていらっしゃるように感じた。どの方も非常に無駄のない話をされる。
 聞き取りの初回は、元厚生事務次官の幸田正孝氏(本書:第1・5章)であった。国民皆保険の成立について、幸田氏のお考えを伺おうと、冒頭15分程度ご自由に話してもらうように依頼していた。すると「いくつかお話します」と話を切り出すと、当時を想起させる話題を織り交ぜながら、テンポよく5つの論点整理を行った。その時間は、ぴったり15分。あまりの見事さに、研究班は舌を巻いてしまった。
 研究班も、可能な限り史資料を読み勉強していったが、厚生省内の決定プロセスの詳細や機微については理解が及ばないこともあった。そうしたとき、証言者と研究者の間にたって媒介役を務めたのが新田である。厚生省での職務経験を生かして、研究班に厚生行政の実務を分りやすく説明をしてくれた。一方で証言者に対しても、例えば人物名を忘れたときなど、記憶を呼び起こすサポートをしてくれた。また証言の要点を引き出す質問もとても上手であった。また経済学者の山田は年金や福祉の分野で、法学の観点から森田は医療の分野で、若手が作成した質問案とは違った角度から、新たな証言を引き出していった。
 研究班の聞き取りの経験値が徐々に高まるにつれて、それぞれの役割分担や質問を切り出すタイミングなども明確になっていき、チームとしての一体感が高まっていった。

疾走した5年間――聞き取りと編集作業の日々

 聞き取りの成果が生み出されるようになると、ご証言者からご紹介を頂くこともあった。特に、元厚生事務次官の吉原健二氏(本書:第2・6章)のご支援は本当に有り難かった。吉原氏は『老人保健法の解説』(中央法規出版)、『日本公的年金制度史』(畑満氏との共著、中央法規出版)、『日本医療保険制度史』(和田勝氏との共著、東洋経済新報社)等の出版を通じて、戦後の社会保障の歩みを伝えてこられた方である。本研究の意義を認めていただき、そして他の証言者をご紹介くださったことで、研究の輪は大きく広がった。
 3年目にもなると、研究プロジェクトは順調に動き出し、事務局は聞き取りの調整、質問表の作成、報告書印刷と、繁忙の日々となっていった。複数の報告書を同時並行で作成する作業は、正直いえば苦しいときもあった。だが、証言者に報告書をお届けにあがる際、思いがけずお褒めの言葉を頂くと、安堵感と大きな喜びが得られた。しかしそれでも、その帰路は決まって、事務局で次のインタビューの調整と報告書作成の相談をしていた。そうした事務局の日々は終わりのないものように感じられた。
 速記録はペンハウス社の片岡裕子氏の手によるものである。聞き取りの雰囲気をも写し取った、その速記録は片岡氏の作品というにふさわしい。なお速記録の編集において、証言者に2回校正をお願いしたが、間違いの訂正と言い回しの変更が多かった。正確性を期して、追加の記述をされることもあった。先述のとおり、官僚の証言者は、話せる範囲の線引きが一流である。逆の見方をすれば、削りたい証言を引き出すところまで迫ることができなかったのではないかと反省している。

本書の構造と特徴

 研究を開始して5年目に入ると、聞き取りの総時間は100時間を越えていた。『内政史研究会談話速記録』『戦後財政史口述資料』といった金字塔のような研究には遠く及ばないものの、厚生官僚を中心とした聞き取りとしては、一定の成果が蓄積されたように感じた。そこで今回作成した速記録から重要な証言を精選した本書を企画し、有斐閣の松井智恵子氏に相談したところ、幸い本書企画が実現した。証言者の方々は、本書が学生時代に法律を学んだ有斐閣から公刊されることを喜ばれていたように思う。
 本書の構造は、各章において「証言集」(速記録を精選したもの)と「解題」(「証言集」における重要証言を解説したもの)を配置するというやや複雑なものである。その編集方針には理由がある。速記録の総文字数は、戦後社会保障の証言アーカイブズというべき規模で、約137万字に達していた。しかし、本書に収録できたのは約21万字で、速記録の15%ほどでしかない。そのため「解題」において、精選した「証言集」の歴史研究上の意義を明らかにし、その読解を支えることを狙ったのである。
 またオーラルヒストリーの書籍として、本書は次のような特徴を有している。

 ① 戦後の社会保障の歩みを幅広く捉えられる
 時代範囲は1950年代から2000年まで、対象としても社会保障の全体像(医療、年金、福祉)を捉えている。
 ② 政策立案の舞台裏やキーパーソンの人物像
 本書には、当時の省内・課内の役割分担、議論の様子、素案の内容などの立案プロセスが言及されている。また人物像の証言から、政策へのこだわりや関係者への心配りの様子が読み取れ、それが史資料の解釈を豊かなものとする。
 ③ テーマオーラルヒストリーとしての魅力
 厚生省の内部にあっても、部局(保険局と年金局等)、職位(局長、課長、補佐等)、専門性(法令事務官、医系技官、福祉専門官等)の違いにより、制度評価に違いが生じることある。本書は制度立案に強いキャリア官僚だけでなく、制度細部の知識や現場の経験によって制度運営を支えるいわゆるノンキャリアの方々の証言も収録した。社会保障制度について複眼的な検証が可能になるだろう。

 本書は、速記録の作成に取り組んできた研究班なりの、厚生官僚の証言の読み取りと解釈である。戦後社会保障の証言アーカイブズの読解は多様でありうる。今後の社会保障研究において、ひろく活用されることを願っている。

書斎の窓
2018年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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