『労働者のための漫画の描き方教室』
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「漫画」として成立する条件を問う、意欲的ですぐれた表現論
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
タイトルに笑ってしまって即購入。手に持ったとたん、重量感に二度目の笑い。450ページをかるく超える。熱量がすごい。
漫画の描き方を教える本はごまんとあるが、そのほとんどはキャラクターや絵そのものを「よりよく見せる」「受け手に伝わるように創る」ことを目標にする。それはまあ当たり前ではあるが、創作にかかわる人間としては、そんなのは二番目に大事なことにすぎないと言いたい。この本は、派手で人目をひく絵の描き方なんかこれっぽっちも教えない。ただただ、それが「表現」として成立するカギだけを問題にしている。ここが非凡だ。
著者が大切にするのはスピード感だ。たとえば一本の線を引くにも、手描きのふにゃっとした線をよしとする。なぜなら、機械で引く硬質な線は、人に「もっと完璧に描きたい、もっと緻密に描きたい」と思わせ、技術を追求させる。その結果、作品の完成が遠のくからなのである。
この本が呼びかけている相手は労働者である。それも、ブラックな労働環境にいたり、心がすりへる仕事に従事したりしている人たちだ。そういう人たちには端的に時間と体力がないから、より早く作品が描けるということを大事にする。そう、小説よりもずっと早く。なにもプロの漫画家を目指すことはないのだ。
現代人にとって究極のミッションは、終わりなきクソッタレな日常を生きることである。漫画という表現手段は、終わりなき(つまり区切りのない)日常の時間に、作品の結末という「終わり」を持ち込み、精神を生き返らせる試みだ。
「表情不要試論」「感情不要試論」「ネーム不要試論」などなどを重ね、漫画が漫画として成立するぎりぎりの条件を問う、非常に意欲的ですぐれた表現論だ。あなたがもし、日常を耐えやすくするための小さな区切りを求めているなら、ぜひ読むべき本だと思う。