「からっぽ」の恩寵

レビュー

7
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

哲司、あんたのような人間を世の中ではクズと呼ぶんやで

『哲司、あんたのような人間を世の中ではクズと呼ぶんやで』

著者
石田 香織 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784309027333
発売日
2018/10/24

書籍情報:版元ドットコム

「からっぽ」の恩寵

[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)

 その手紙の主は、山あいの国道沿いにある、廃墟と化したラブホテルに棲みついている。

 街から逃げ出し偶然ここに辿りついたものの意外と居心地がいいこと。薄茶色の縞模様のトラ猫の先客がいること。放置された備品の中からペンと便箋の束を見つけたこと。訥々と近況が綴られる合間に、〈私〉という男の五十数年の来し方が─つまりは人生が、行きつ戻りつしながらすこしずつすこしずつこぼれ出す。

〈私〉の記憶のなかの最初の「父」は、母が勤めるスナック店でアルバイトをしていた気のいい学生だ。けれど妹をみごもった母と結婚してからは酒に溺れて暴れてばかり。ある日、幼い妹にまで手を出す父の姿を見かねた兄は捨て身のパフォーマンスに打って出る。おかげで暴力は止んだものの、怯えた父は蒸発し、母も男と遊んで家を放り出すようになってしまう。

 起きた出来事だけを列挙すれば劣悪と呼んでも差し支えない環境だ。実際、妹が栄養失調で失神したのを契機に、子供たちは施設に保護されバラバラに散っていく。だが、そうした経緯を綴る〈私〉の筆致はあまり湿り気を感じさせないどころか、時に愉しげにすら映る。例えば、子供の同級生の父親であってもいけしゃあしゃあと家に連れ込み(!)、さも家庭的であるかのように取り繕って朝食をたべさせる母の姿は〈私〉と兄のあいだで笑い草でもある。一方、当の同級生のほうは、自分の母親が「秘伝出汁(だし)京風おでん」を謳いながら「シマヤだしの素」を使っていることのほうに心底傷ついていたりする。ダメな大人たちが見せるしょうもないふるまいの数々が醸し出すのは、なんともいえない滑稽味と哀愁、それゆえのユニークな輝きだ。

〈私〉の思い出のなかでは、父が「父」になる以前の姿─優しい「たかし兄ちゃん」の姿は遊離している。他の記憶のありようも同様だ。大きな点を結んで「不幸な人生」あるいは「クズな人間」の図を描くのはたやすい。だがその表面にはふつふつと、こまかい気泡が浮かび上がり、〈私〉が眺めてきたものの像を豊かにふくらませていく。そうした過程の部分こそを懸命にすくいとっていく作者の手つきの確かさは、デビュー作、『きょうの日は、さようなら』から一貫している美点だろう。

 続かない仕事。続かない縁。安易な借金。自分の手で壊した家庭。さながら「透明人間」のように、痛みを伴う感情を他人事のように受け流して成長した〈私〉は、気づけばダメな大人になっている。自らを形容する言葉は「からっぽ」だ。事実、この手紙はパチンコ店で最後に隣に居合わせただけの男─つまり初めから届かない相手に宛てられて書かれているのだ。

 けれど、透明だからこそ透かし見ることができる景色があるということ。同じように、からっぽだからこそ受け止められる感触があるのだということ。例えば、ろくでなしの友人がつくった物哀しいダンゴムシの歌。母乳をダラダラ垂らしながらキャバクラ勤めをこなす妻の乳房にあてがわれていた生臭いタオル。甘辛いソースの匂いを立ち上らせる温かい紙袋─そこに、人という生きものが受け取れる恩寵のてざわりが集約されている。

河出書房新社 文藝
2018年冬季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

  • このエントリーをはてなブックマークに追加