上橋菜穂子×佐藤多佳子・対談 「原点」そして「これから」

対談・鼎談

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精霊の木

『精霊の木』

著者
上橋菜穂子 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784101320854
発売日
2019/04/26
価格
649円(税込)

明るい夜に出かけて

『明るい夜に出かけて』

著者
佐藤多佳子 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784101237367
発売日
2019/04/26
価格
738円(税込)

上橋菜穂子×佐藤多佳子・対談 「原点」そして「これから」

[文] 新潮社

それぞれの「原点」

上橋 こうして話していて、鏡を見てるみたいに似ているのは、読んできたものが似ているからということもあるかも。

佐藤 お互いに、萩尾望都の漫画に刺激を受けたり、やっぱり物語が好きで、意識しないうちに書き始め、それを継続して現在に至ったという感じですね。

上橋 私は高校生のときに、人生を変える作家に出会ったの。それがトールキンとサトクリフだった。古代ローマ時代のブリテン島で先住民の若者と旅をする『第九軍団のワシ』などに衝撃を受けた。それまでの読書体験は、楽しみながらも、どこか距離を置けて、テーマが透けて見えたりもしたけれど、この作品はそんな読み方をさせてもらえず、首根っこを掴んで、その世界に引っ張り込まれた感じだった。ケルトの若者になった気分で、行ったこともないイギリスの深い森の中の匂いも感じていた。

佐藤 百パーセント入り込んだのね。それまでに読んでいたイギリスの児童文学以上の吸引力で?

上橋 以上、というか、他の物語も大好きで、没入してはいたのだけど、サトクリフの場合は、遥か昔の世界なのに、煙の匂いが鼻に残るほど完全に物語に溶けちゃった。

佐藤 それはすごく大きな読書体験ですね。ある意味、書くということに関しての「原点」でもあるのでしょう。

上橋 ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』、トールキンの『指輪物語』なども読みまくり、今まで見たこともない世界に溶け込ませてしまうほどの力を持つ物語って何だろうと考えたの。

佐藤 それは上橋さんの今書いてるものに確実につながってるよね。物語のスケールが大きくて、人物がみんな、その中でしっかり生きてる。だから、その世界に否応なく引き込まれていく。

上橋 そう、「世界」というのは大切なキーワードで、サトクリフとトールキンの場合は世界が感じられた。主人公は、そこに生まれた人々として在った。私にとっては、それがとても大切に思えたの。「そういうものを書きたい」という焦がれて止まぬ「物語の佇まい」が初めて心に宿った瞬間だったのかもしれない。

佐藤 わかる! やっぱりそこが、原点だったんですね。

上橋 トールキンは学者だし、サトクリフの博識ぶりも図抜けてすごい。だから、作家になるって、そのくらいまでにならなければダメな気がしたの。

佐藤 上橋さんはそれを実現したからすごいよね。実は私も、同じことをやりたかったの。日本の児童文学で、わくわくするストーリーやドキドキする登場人物たちの、骨太なファンタジーを創るためには、生半可な知識ではダメ。研究の蓄積の中から書きたい。そのために研究者になりたい、と高校の頃に。

上橋 おお、同じ!(笑)

佐藤 史学科に進んだのはそこなのね。
 歴史を学んで、大きな物語が書きたいと思って日本史を専攻しました。でも、上橋さんとの違いは、私は学問が嫌いだったこと(笑)。

上橋 面白い、そこ(笑)。

佐藤 好きなのは通史であり、ドラマだったと気づいてしまった。歴史学は膨大な時間をかけて細部から検証していく学問だけれど、自分にとっては、歴史の真実より、いかに面白いかが重要で、学者になれないということが大学一年の春でわかってしまったのです。

上橋 私も考古学や歴史を学ぶつもりでいて、人類学に出合ってしまった。人類学は、それまで自分が知ったつもりでいたことを、すべて吹っ飛ばしてくれた。しかも、自ら「経験する」学問だった。

佐藤 掘り下げながら更に広げていく学問かもしれないね。

上橋 文字を持たぬ人々にも、経て来た長い年月があるけれど、それは記録には残らないしね。

佐藤 確かに、そうかもしれないねえ。

上橋 人類学ならば、現在生きている人たちと一緒に暮らし、彼らと話をしながら、文献から得るのとはまた違うものが得られるかなと思った。異文化世界で、自分の足で立ち、一から人間関係を築いて暮らしてみたかったの。

佐藤 それはもう、そのものが物語だね。

上橋 ここで頑張らなければ、たぶん私は作家になんかなれないと思ったから。

佐藤 その学究と、書くというのは常に、ある同じ線上にあるものなのかな?

上橋 同じ線上というより学ぶことで自分を広げなければ、あの、きらめく星のところには辿り着けないと思っていた。

佐藤 私は、リンドグレーンとランサムが中学の頃からすごく好きでした。その二人が私にとっては上橋さんのサトクリフとトールキン。その後、どれほど読み足しても、この二人!

上橋 それは大事なことですね。動かし難いもの。ちなみにランサムとリンドグレーン、私も大好きよ(笑)。

佐藤 私にとっての大きな一冊は、中学一年のときに読んだリンドグレーンの『わたしたちの島で』。主人公一家がバルト海の離島で避暑をして、島の住人や動物たちとの交流をとてもコミカルにリアルに描いた物語。大阪に住む三つ年下の従妹と夏休みはいつも一緒に過ごしていて、中一の夏に教えてもらったの。『わたしたちの島で』を貸してもらい、一晩で読んでハマっちゃった。それからは二人でこの本の話ばっかり。ごっこ遊びをしながら、そのひと夏は二人は「ウミガラス島」で過ごしたということに。でも夏が終わり、私は東京に帰らなければならない。この本の話ができなくなる寂しさが高じて、自分と従妹を登場させた二次創作を便箋にぎっしり十枚ぐらい書いて送りつけたの。従妹もまた感想を送り返してくれて、この文通は三年ぐらい続いたんじゃないかな。

上橋 おお、すごいね、それ!

佐藤 それが私の「原点」です。とにかくお話の中にいるのが幸せで、そこから出ると寂しいから、出なくて済む方法は何かと考え、結局、自分で書くことだと。

上橋 ああ、わかる! その夏の思い出を聞いていて、私、なんだか『サマータイム』を思い出しちゃった。

佐藤 『サマータイム』の舞台のニュータウンは従妹の家なのよ。従妹がピアノを練習する音を私は夏中ずっと聴いてた。夏の終わりには、なんとも言えない寂しさで。だから、あれは私にとって特別で、自分の体験をあれだけ作品に書いたのは他にない、二度と書けない話です。

上橋 そうだったの! 一緒にその夏を過ごしたわけじゃないのに、『サマータイム』を読んだときに感じていた物悲しさを、話を聞いた途端に感じたの。物語って実はそういうものじゃないかと思う。

    *

上橋 私の父は画家なんだけど、昔、父がアトリエのイーゼルにかかっていた描きかけの絵を指して「菜穂子、これどうだ」と訊ねたの。「梅がきれいだなあ」と答えて、絵に近づいたら、赤い点が三つ置いてあるだけ。遠くから見たら、それが満開の紅梅が咲いている匂うような絵に見えたのね。実際は、ただの三点だったの。表現とはこういうものだと父に教わった気がしました。

佐藤 全てを描かなくても伝わる。文章も、短い言葉でどれほど伝えられるか。子どもの本を書いてきた土台がある私たちは、シンプルは最善という意識がある。

上橋 どれだけ削ぎ落とした言葉で、物語の世界を感じてもらえるか――。子どもの頃の夢を叶え、三十年間書き続けてきたけれど、自分に合ったペースで、これからも物語を書き続けられたら幸せですね。

新潮社 波
2019年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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