「江藤淳嫌い」が治る本 平山周吉×竹内洋・対談

対談・鼎談

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江藤淳は甦える

『江藤淳は甦える』

著者
平山 周吉 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103524717
発売日
2019/04/25
価格
4,070円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【『江藤淳は甦える』刊行記念対談】平山周吉×竹内洋 「江藤淳嫌い」が治る本

[文] 新潮社

「治者」ではなく「不寝番」

竹内 戦後出てきた庶民的知識人の吉本隆明の切り札は「大衆の原像」ですし、福田恆存もいつも「常識」や「民衆の心」といいます。江藤淳の拠り所は、結局、「国家」や「治者」になるんですか?

平山 『成熟と喪失』の中で、「治者」という概念を出してキャッチフレーズ的に受け取られましたけれど、並列されている「不寝番」の方が、江藤さんの持っていた繊細なイメージに近かったんじゃないかと思っているんです。

竹内 「不寝番」というとサリンジャーの「The Catcher in the Rye」。ライ麦畑で遊んでいる子供が、崖から落ちそうになったら捕まえるキャッチャーです。

平山 江藤さんの言葉は、ハムレットからの引用です。「政治的人間」としての勝海舟は、「治者」として江戸城の無血開城に成功しましたけれど、宿願だった徳川慶喜の江戸復帰は阻止され、挫折を味わいます。江藤さんは海舟の政治手法を「継ぎ剥ぎ細工(パッチワーク)」と呼んでいますが、共感しているのは、薩長支配の下で三十年間、徳川慶喜と旧幕臣の面倒を看続けた「不寝番」的な生き方の方でしょう。挫折した後を評価するのが「文士」的です。

竹内 平山さんの説明には納得しますし、「治者」という言葉でない方が一般的なアピールをしたかもしれません。もうひとつ、江藤にとって大衆や民衆はどういう存在になるんですか?

平山 「大衆」が見えない人かもしれませんね。江藤さんの晩年、鎌倉で番頭のようにつき従っていた市会議員の御夫妻は、「君たちのお蔭で、人情というものを知ったよ」と言われたというんです。奥様の方は、人情に通じてなくて、文学ってわかるものなの、と驚いていました。欠落している部分も多い人なんです。

竹内 丸山眞男も、大衆化現象や大衆社会についての論文はあっても、生身の大衆についてはあまり知らないと思います。ただ、啓蒙される対象として、知識人に大衆が近づくことを願っていたわけで、射程の中には入っていました。江藤淳は「上から目線」の人なのかな。

平山 エリート意識を隠さないですからね。やはり、国会がすぐそばにあり、東京中の秀才が集まる日比谷高校出身であることが中核にありますね。文学者というより、テクノクラートとして国家を支えようという意識が強いと思います。

竹内 ちょっと卑俗なたとえだけれど、私らが学生の頃では、東大法学部精鋭は就職の時、通産省、大蔵省、大手銀行、朝日新聞、そして司法試験も受けていて、どこかに行ければいい。つまり、天下国家的な人で、そうであれば何でもよい。江藤淳は、そういう時代の申し子なんですね。

平山 東大法学部に進む気はなかったようですけれど、権力の中枢だと充分に意識しています。戦後体制も東大法学部の宮沢俊義の憲法解釈が権威となり、みなが大学で学び、公務員試験の問題もそれに基づいて作られていて、江藤さんは『閉された言語空間』などの仕事で東大法学部という体制と、たった一人で張り合おうと考えていました。

竹内 でも、天下国家の中枢に対抗する方法が、美濃部達吉などをアジビラ的な言語でとことん批判した原理日本社の国粋主義者・蓑田胸喜と似ている印象を受けます(笑)。もう少しスマートなやり方はなかったものか。

平山 いや、むしろ東大法学部を出て大蔵省を辞めて作家になった三島由紀夫に近い気がします。70年に自決した時は三島と意図的に距離を取っていますけど、自分と似ているので危険だと感じたからです。でも、平成に入り「我は先帝の遺臣にして新朝の逸民なり」と書いた頃には、三島の「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」という危機意識にぐんぐん引き寄せられていた。

竹内 確かに江藤も三島も、言葉の使い方がキャッチーである点では共通しています。「『ごっこ』の世界が終わったとき」でも、英語の“makebelieve”から取ったりしています。そして確かに、江藤は蓑田よりはかなり頭はいいかもしれない。
 評伝として、潤一郎・荷風的な問題にも着目されています(笑)。当時の作家や評論家の水準で考えるとどうだったのか。

平山 柳橋や向島で鳴らした人ですが、確証が取れたことだけ書きました(笑)。

竹内 まあ、人間的な側面ということやな(笑)。最後に、「甦える」というタイトルにどんなメッセージが込められているのかを教えて下さい。

平山 もちろん、代表作の『海は甦える』を踏まえているわけですけれど、まず、「江藤淳」という批評家が誕生したのは、大学二年の時に自殺未遂をして生き返った時、堀辰雄的世界を捨てて、書く対象が夏目漱石に移行した時からなんです。江藤さんの大学時代の恩人だった藤井昇さんに、ある事情からその事実を聞いていたので、それを書き残しておきたいという意図がありました。

竹内 公表されていない新事実ですね。

平山 はい。もうひとつ、江藤さんはずっと占領や憲法の問題ばかりやって、文壇からも論壇からも爪弾きにされ、「生き埋め」になっていました。ところが、平成に入り、アメリカに首根っこを抑えられた状況がより強化され、「日本がなくなってしまう」という江藤さんの危惧がいよいよ予言的に聞こえてきます。批評家としての「生き埋め」から「甦える」という意味も込めました。

竹内 菊田均の『江藤淳論』の裏帯には「この世に江藤淳嫌いと称する人々は少なくない」と書かれています。ところが、家を探せば本はたくさん出てくるし、話題作が多いから、ちゃんと読んでいます。『犬と私』のようなエッセイはとても上手ですしね。

平山 最近は、「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」の発見者として、ネトウヨのネタ元のような低レベルの問題で捉えられています。でも、江藤さんは日本の近代全体を根本から批評しようと考えていた人なんです。

竹内 むしろ、「江藤淳嫌い」だった人こそ読むべき本です(笑)。

平山 5月18日から、神奈川近代文学館で「没後20年 江藤淳展」という企画展も開催されます。本や展示をきっかけに、江藤淳の示唆に富む、本気の問題意識が改めて共有されるといいのですが。

新潮社 波
2019年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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