森瑤子(ようこ)の帽子 島崎今日子著
[レビュアー] 平松洋子(エッセイスト)
◆懊悩にまみれた軌跡
女優さながらの大きな帽子、真紅の口紅、肩パッド……都会的なイメージをさらに煽(あお)る華やかな社交と浪費ぶり。日本のバブル期に現れ、人気作家として時代を駆け抜けた森瑤子とは誰だったのか。
本書は人物の核心に迫るノンフィクション作品なのだが、と同時にセクシュアリティ、自立、自己解放など女をめぐる諸テーマを提示し、重量感をもたらす読みごたえだ。
一九七八年、初小説「情事」でデビュー、すばる文学賞受賞。三人の娘の育児に忙殺されていた三十八歳の主婦は名声と経済力を獲得してゆくのだが、内面には底の抜けたような孤独を抱えていた。その姿を、至近距離から数々の証言が照らし出す。山田詠美、大宅(おおや)映子、五木寛之、北方謙三、歴代の編集者、カウンセラー、東京藝(げい)大時代の同級生、舞台裏まで知り尽くす秘書、税理士、三人の娘、現在与論島で暮らすイギリス人の夫――。しかし、人物像は収斂(しゅうれん)されていかない。むしろ著者は、焦点が安易に結ばれるのを入念に遠ざけている。人間の真実は矛盾を孕(はら)むもの。
懊悩(おうのう)にまみれた軌跡が明らかにされる。母にたいする葛藤。サルトルとボーヴォワールに影響された青春時代の夢。婚約破棄の痛み。イギリス人の夫との確執。カナダの島まで買う果てしない欲望、あるいは飢餓感。作家であり続けるために夫や家族を傷つけ、自身の内面をさらけ出す。その過剰さは、現実と虚構を交錯させてまでも書くことに執着した所産なのだった。
森瑤子にはふたつのペルソナ(人格)があった。本名の伊藤雅代、作家としての森瑤子。二者の間で翻弄(ほんろう)される姿を、カウンセラーの河野貴代美は「本質的に非常に虚(むな)しい人」と評し、五木寛之は「生き方そのものが作品だった」と語る。五十二歳のとき胃がんのため死去、自身の葬儀までプロデュースして逝った。
事実、証言、作品からの引用を縦横に駆使し、すこぶる蠱惑(こわく)的な多面体を浮かび上がらせて見事だ。本書がジェンダー論の要素を多分に備えているのも、著者ならではの視点による。
(幻冬舎・1836円)
1954年生まれ。ジャーナリスト。著書『この国で女であるということ』など。
◆もう1冊
島崎今日子著『安井かずみがいた時代』(集英社文庫)。60~70年代に輝いた作詞家を語る。