「しまった…」行列待ちでつい常連客を“特別扱い”したのに、他の客が見せた驚きの反応とは?

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お客さん物語

『お客さん物語』

著者
稲田 俊輔 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
社会科学/社会科学総記
ISBN
9784106110115
発売日
2023/09/19
価格
946円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

客と店のムズ痒い不毛感を複眼の視線でブレイクスルー

[レビュアー] 平松洋子(エッセイスト)


お腹が空いてると特にイライラ…(※画像はイメージ)

 自身が営む料理店で、行列待ちができる。待たされる客は、空腹もあいまってイライラが募りがちだ…。

 料理店の経営者としては慎重に対応したい状況なのに、うっかり常連客を“特別扱い”してしまったエピソードが『お客さん物語』(稲田俊輔、新潮新書)で明かされている。

 著者の稲田氏は、人気の南インド料理店「エリックサウス」総料理長でもある。稲田氏がお客さんの生態や店の舞台裏を明かす本書を、エッセイストの平松洋子氏が紹介する。

平松洋子・評「客と店のムズ痒い不毛感を複眼の視線でブレイクスルー」

 某日夕刻六時半。カウンター五席だけの、女性料理人が切り盛りするビストロ風の小さな店に、ひとりで初めて立ち寄った。お客はいない。「いらっしゃいませ」と明るく迎えられ、白ワインと「自家製パテ 六百円」を注文。ところが、流れは思わぬ方向へ。「あっ」。カウンターの向こうから小さな声が聞こえた。とっさに視線を移すと、「自家製パテ」のラップを開いた手が硬直している。あ。パテのまわりにうっすら見えるのは、たぶんカビ。異臭がぷーん。そろりと私を窺う彼女の顔に、「見たな」と書いてあった。

 これは、挙げ始めればキリがない私の「お客さん物語」の一場面。もちろん誰もが、たくさんの奇々怪々、抱腹絶倒の「お客さん物語」を持ち合わせているだろう。ただし、「お客さん物語」を鏡にかざしてみれば、そこに映し出されるのは「お店物語」。つまり、客と店は合わせ鏡の宿命にある。どちらが欠けても物語は成立しない。

 本書のタイトル「お客さん物語」と副題「飲食店の舞台裏と料理人の本音」が示すのは、その合わせ鏡の世界の内実。ただし、これが存外ムズカシイ。世間には飲食あるいは飲食店にまつわる書き物があふれているけれど、たいてい一方の立場から言葉が発せられる。料理人が語る技術や考え。経営者が開陳する経営法や人生論。客は、頼まれもしないのに点数やランクを付け、褒めちぎったり、断罪したり。もちろん、そこには大小の真実があるだろうし、一方通行ならではの強度が備わってもいるだろう。しかし、肝心のナニカがズレているような、交錯はするけれど交差はしていないような。

 そのムズ痒い不毛感をブレイクスルーするのが、本書である。「舞台裏」と「本音」から噴き出す、切れば血の出る泣き笑いの山。現場のリアリティに惹かれて読み止められないのは、著者が複眼の持ち主だからだ。

 大学時代から飲食業に携わり、さまざまな業態や仕事に関わってきた現役の飲食店経営者。

 南インド料理を手掛ける料理人。

 飲んだり食べたりするのが大好きな一介の客。

 三者三様、立場が違えば白が黒に反転してしまうこともあるややこしさを、複眼の視線と思考によってやわらかに解きほぐし、飲食の現在を腑分けしてゆく。

 たとえば「I お客さん論 2.常連さんと特別扱い」。誰にとっても刺激的なワード「常連さん」「特別扱い」は、しばしばトラブルを招きがち。著者が営むインド料理店で、行列ができていたときのこと。インド人客を自分より先に案内した、納得がいかない、と激昂する女性客に向かって、とっさに著者の口から出た正直過ぎる言葉。

「はい。常連様なので特別扱いしました」

 しまった、やってしまった、と身を固くしていると、くだんの女性客は「激怒するどころかクスクスと笑い始め」、言う。

「確かに、それもそうね」

 大騒動になりかねない応対なのに、なぜ笑いさえ誘って事態は収まったのか。アクロバティックなエピソードなのだが、したり顔の分析や正当化のカケラもくっついていないから、よけいに考えさせられる。立場の違いを飛び越え、一瞬で成立した和解と理解はなにを意味しているのか。少なくとも、マニュアルやセオリーはおたがいの溝を埋めはしない。店と客の関係を複雑な関係に持ち込んでいるのは、小さな権利意識のぶつかり合いなんだろう。

 レビューサイト。サラダバー。テイクアウト。ビュッフェ。手土産。おひとり様。予約。値段……飲食をめぐるさまざまな場面に、世代、トレンド、異文化などが輪を掛け、さらに個人の嗜好や好悪の感情が絡めば、なんらかの軋みが生じるのは世の常。お客として「度々お店をざわつかせていることを自覚してい」る著者は、イタリア料理店や小籠包専門店で涙ぐましい「小芝居」を繰り広げるのだが、“なにもそこまで”と鼻白むか、“ほう、味のある手だな”と小膝を打つか、ひとそれぞれ。

「いいお客さん」「いい店」があるわけでもなく、正解があるわけでもない。でも、店を語ればおのずと客が見え、客を語れば店が見えてくる。そのあわいに醸成されるものが「文化」なのだ。

 著者は、こう俯瞰する。

「お店の勝手な自己実現欲求に、お客さんの側がいちいち気を遣って合わせてあげなければいけない道理は、確かに無いのかもしれません。しかし、(中略)お店が作り出そうとしている世界観を理解し、それに身を委ねることは、そのお店を最大限に楽しむための最も確実な方法だと思います」

 そして、「最後のピースはお客さんです」、とも。

 飲食をめぐって軽妙に綴られるドラマは、悲喜こもごも。とある大型カフェ、身を委ねすぎてマルチ商法に引っ掛かりかけている客に遭遇した著者は、自分のタブレットにでかでかと「騙されてますよ」と表示し、危機を知らせる。日常のあわい、とりわけ飲食の場面に生まれる色濃い「お客さん物語」は、ひたすら人間臭い。

新潮社 波
2023年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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