『海の乙女の惜しみなさ』
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現代アメリカの断片を写し取る「苦しみ、壊れた塊のための使者」
[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)
一昨年、肝臓がんのため六十七歳で亡くなった作家の遺作短編集は、現代アメリカの断片を写し取る。
収められた五編の短編はいずれも主人公の視点で語られる。アルコール依存症更正センターが舞台の「アイダホのスターライト」と、刑務所内の物語「首絞めボブ」が作家の名声を確かなものにした第一短編集『ジーザス・サン』を思わせる、社会から脱落した主人公であるのに対して、表題作と「墓に対する勝利」「ドッペルゲンガー、ポルターガイスト」は、初老の広告制作者や作家の目がとらえた世界を描いている。
乱暴ではあるけど、薬物常用者だった前半生と、作家としての地歩を築いていった後半生とが、主人公のタイプの違う作品それぞれに投影されているということだろう。
ある程度の社会的な地位を得た主人公は、当事者から観察者の位置に移っている。彼らの声は抑制が効いているが、フィリップ・ロスに「苦しみ、壊れた魂のための使者」と呼ばれた資質は変わっていない。人生の「奈落」にすすんで落ちていこうとする人に寄り添い、とっさに手を差し伸べて、自身も引きずられそうになる。
即興演奏のように、記憶は別の記憶へとスライドしていく。「墓に対する勝利」では、友人の死の知らせから、自分が看取った友人の死、さらにそれより前に、年長の作家が死に向かう場面にいあわせたときの記憶へと、次々つながっていく。人が死へ向かう過程の描写は乾いているが、慈しみに満ちてもいる。
最後の「ドッペルゲンガー、ポルターガイスト」は、エルビス・プレスリーをめぐる物語である。正確には、プレスリーの出生の秘密に取りつかれた若き詩人と、彼の教師であり、才能を誰よりも評価している「私」の物語。九・一一さえも自身の物語に回収していく教え子を、離れて見守る「私」もまた、静かに狂っているのか。