『図書室』
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『劇場』
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【『図書室』(岸政彦著)刊行&『劇場』(又吉直樹著)文庫化記念対談前篇】表現するって恥ずかしい
[文] 新潮社
恥ずかしさを逆ギレで克服
岸 「鍵」の芝居で、舞台上でのインタラクションがうまくいかなくて、役者がみんな我に返ってしまうでしょう。前日のリハーサルがうまく行っていただけに、よけい白けて、崩壊していく。先ほどからお話ししている分析的になるって、没頭しないことじゃないですか。それは表現する上では邪魔になりませんか。
又吉 そこからどうやって、恥ずかしいという感覚の外に出られるのか、ということだろうと。
岸 表現って恥ずかしいですよね。
又吉 ギャグなんてめちゃくちゃ恥ずかしいですよ。でも、そういう職業やから、逃げられない。
岸 出番も迫ってきますし。
又吉 それに、だれも照れてないんですよ。芸人がギャグやるのって当たり前やし。でも、例えば舞台上で、女性の体のどこに惹かれるかって話になったとき、僕だけすごく恥ずかしいんです。おっぱいとか、お尻とか、言うのがすごく恥ずかしい。だから、「うなじ」にしておこうかなって思ったりするんですが。
岸 わかる(笑)。ちょっと気取ってる感じがする。
又吉 「手のひら」とか言っても「そういうのいらんって」となって、もうおっぱいかお尻かどっちか選ぶしかないってことになる。それをみんな普通に言ってるんですが、僕はむちゃくちゃ抵抗があるんです。その場に八人くらいいて、僕は主役じゃない四番目くらいだから、パーツにならなあかんから、普通に言えばいいだけやのに、ずらしたらあかん、分かりやすく当たり前のように提示しなきゃあかんって思ったときに、自分、邪魔くさいなって思いますね。
岸 ずらしてるときに、そのことがばれると、ものすごくいやらしくなりますよね。メタメッセージまで考え出すと、何も言えなくなる。僕は音楽も好きでベースをやっていますが、劣等感が強すぎて、弾いているときに、格好つけられなくなるんです。自分のベースに没頭できなくなって、音程とか気になってしまう。だから、ジャズミュージシャンの綾戸智恵さんには「岸君は音楽ムリやな、音楽好きすぎるねん」って言われました。
又吉 なるほど。
岸 小説を書き始めるときは、そういう恥ずかしさはなかったですか。
又吉 最初は「なんで自分が」という思いがありました。でもいくつかきっかけがあって、恥ずかしさについては、考えすぎてきたらムカついてくるんですよ。なんでここまで考えなあかんねん、という。
岸 (笑)ひとり逆ギレみたいな。
又吉 おもろかろうがどうだろうが、書きたいから書くという以外に理由はないなって。
岸 僕もそう思います。でもその理屈って自己満足の時と同じで、商業的に世に出る作品を書く場合には、逆ギレだけじゃないだろうとも思うんです。永田君が企画する演劇のアイディアは、いかにも現代アートにあるようなリアルな内容で、コンセプチュアルですよね。これまでの演劇を壊してやろうというような。でも一方、それを書いている又吉さん自身は、きわめてオーソドックスな小説の形式を守っていて、それがすごく面白いと思います。これぞ小説、ザ・文学、という感じじゃないですか。小説の形式を壊してやろうとは思わなかったんですか。
又吉 たぶん何周もしていると思うんですけど、僕、すごくベタなんです。芸人にも誤解されていると思うんですが。好きなサッカー選手はマラドーナで、作家なら太宰、芥川、漱石とか。変わった小説も勧められて読んだら面白いし好きなんですけどね。そんなに批評的でもないと思っていて、カレーライス好きですし。
岸 (笑)カレーライス、うまいですよね。
(次号後篇に続く)
(9月5日、於・神楽坂lakagu)