アフリカにも納豆が存在した! 民族植物学者が驚いた、発酵食文化の奥深さ

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アジアとアフリカを繋ぐ納豆の旅

[レビュアー] 重田眞義(京都大学教員/民族植物学者)

重田眞義・評「アジアとアフリカを繋ぐ納豆の旅」

「納豆を食べるのは、日本人だけではなかった」ことを突き止めた高野秀行さんが、謎のアフリカ納豆の存在を追ったノンフィクション作品『幻のアフリカ納豆を追え!―そして現れた〈サピエンス納豆〉―』を刊行。本作について民族植物学者で京都大学教員の重田眞善さんが読みどころを語った。

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 謎解きの快感は何物にも代えがたい。未知との遭遇は探検好きにとっては至福の瞬間である。

「幻獣ムベンベ」以来の高野ファンである私にとって、この「アフリカ納豆」の謎追い話も期待を裏切らないものだった。アフリカにも納豆がある!という事実を知るだけでも随分と驚きなのだが、学術探検の報告としても一級の中身を備え、良質の学術ドキュメンタリーともいいたくなる筆致に何度も唸らされ、笑わされ、考えさせられながら一気に読み終えた。

 しかし、謎が解ける喜びには、一抹の悲しさというか喪失感が伴うこともある。それは郷愁を誘う味と香りとネバネバが、アフリカ納豆の登場によって東アジアの専売特許でなくなってしまうことから来るのかというとそうではない。実は、高野さんが発見したアフリカ納豆、その元祖ともいうべきパルキアというマメ科樹木のマメからつくられる「スンバラ」は、40年以上前から私の記憶の中にある謎の食物のひとつだった。今回、その謎が解けた。

 休学して出掛けた1回目のアフリカから戻った1979年の夏、2度目の大学3年生をしていた私は、8月29日に購入した書物でスンバラの名前をはじめて知った。『サバンナの博物誌』(新潮選書、昭和54年8月20日発行)は、西アフリカはブルキナファソのモシ王国研究で知られる文化人類学者川田順造先生による名著で、26ページからはじまる章の題が「スンバラ味噌」だった。発売直後にこの本を買い、アフリカにも持参して愛読した私にとって、それ以来ずっとスンバラは味噌だったのである。

 謎解きの最も妨げになるのは、思い込みと常識であり、観察に基づかない知識なのだと言っておこう。フィールドワークを信条とするアフリカ研究者として少々負け惜しみを記すと、私は1978年にはじめてアフリカの地に足を踏み入れたときから、アフリカ独特の臭いに対してえもいわれぬ親近感を覚えていた。ザイール(現在のコンゴ民主共和国)の首都にある市場で発酵したキャッサバの香りを嗅ぎ、のちにエチオピアで根栽作物エンセーテの発酵でんぷんを食するようになって、アフリカの発酵食文化の奥深さにはどこか謎があると睨んでいたのである。それは納豆菌にはとうてい繋がらなかったのだが。

 本書の謎解きはアフリカにとどまらない。チョングッチャン(納豆汁)として有名な韓国の納豆を巡る高野さんの探検は意外な展開をみせる。韓国味噌(テンジャン)には、はじめのところで納豆菌も参加していて「ある程度は納豆」だというのである。味噌チゲを日本の味噌でつくっても味噌汁にしかならない。本場の味に近づけたければ隠し味に納豆を加えるとそれらしくなる、ということが科学実証的に解明される。ここでも、味噌と納豆は相容れない別物の発酵食品だ、という私たちの常識を見事に打ち破ってくれた。スンバラを味噌と表現された川田先生が、当時チョングッチャンの秘密をご存知だったかどうかはわからないが、アフリカの臭い、特に発酵臭に対するアフリカ研究者の感覚はあながち間違いではなかったと言えるだろう。

 昨年12月、京都で開催されたシンポジウム「アフリカ食文化の深淵に迫る」に登壇された高野さんに久しぶりにお目にかかった。今から思えば、コロナ禍のはじまる前に対面でこの本のエッセンスを著者の肉声で聞くことができて幸運だった。高野さんの文章と語りには納豆に限らず、いつも読者を虜にする何かがある。大袈裟な言い回しや命名の妙といった巧さとは別に、学術探検における実証的な論証の醍醐味を気持ちよく味合わせてくれる。そのスタイルは、常に人と人とのつながりを糧にしてすすんでいく。読者はいつのまにか、登場人物に感情移入し旅を楽しんでいる。民族誌的な記述の確かさや、フィールドワークの極意を随所に含んでいるところは、若い研究者にも学んで欲しいと思うところが多い。実のところ、この本の内容からいくつもの研究論文のネタが感じ取れる(企業秘密なのでここには記さない)。

 最後に、副題にもなっている「サピエンス納豆」仮説。別の言い方で、高野さんは「人間は大豆で納豆を作ったのではない。納豆で大豆を作ったのだ。」とも述べている。これは、言い換えれば、人間が納豆菌という微生物と共に生きていく過程で、食べにくい「マメ」を食料として手に入れ、野生の「マメ」は、その暮らしの一部を人間に委ねるようになった、ということだろう。人と植物の関係を描く民族植物学の傑作として本書を薦めたい。

新潮社 波
2020年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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