日没 桐野夏生著

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3
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日没

『日没』

著者
桐野夏生 [著]
出版社
岩波書店
ISBN
9784000614405
発売日
2020/07/28
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

日没 桐野夏生著

[レビュアー] 井口時男(文芸評論家)

◆理不尽な思想矯正の恐怖

 過激な性描写が売り物の女性作家に一通の封書が届く。「総務省文化局・文化文芸倫理向上委員会」なる組織からの「召喚状」だ。「貴殿に対する読者からの提訴」があったので「事情を聴取すべく」「出頭を要請します」。権力の文面は慇懃(いんぎん)だが有無を言わさぬすごみがある。不承不承出向いた彼女はそのまま茨城県の海に突き出た崖上の「療養所」に収容されてしまうのだ。外部との接触も通信もできず逃げようもない。

 彼女の作品がいわゆる公序良俗に反するという「提訴」だったようだが、たまに書き散らした反政府的文言もちゃんとチェックされている。反論しようにも相手がまともに議論に応じないし、あえて反論すれば反抗的とみなされて収容期間が延長される理不尽なシステムだ。懲罰には絶食もあり身体拘束もあり、薬物まで使われているらしい。

 要するに思想矯正のための隔離施設なのだ。とはいえ、政府機関らしくもない少人数の職員たちは、「文化文芸」を対象にしながら無知で卑俗な文学観しかもっていないし、「倫理」を掲げながら暴力的で不道徳で陰険だ。そもそも本当に政府機関なのかどうかも怪しいほどだが、その怪しさがかえって不気味だ。

 言論表現の自由は民主主義制度の根幹だが、もともと他者との関係や社会の許容度との関係で一定の制約を受けざるを得ない脆弱(ぜいじゃく)さがある。そして、国家主義に傾く権力はいつだってこの自由を統制したがっている。言論の不自由化がじわじわと進行しつつあるかに思える近年、実にタイムリーな設定だ。政治的言説でなく公序良俗から攻めてくる、というあたりもなるほどと思わせて、ただの空想だと笑いとばせない。暗黒の近未来ディストピア小説だ。

 もっとも、小説の視野が施設内部に局限されていて社会全体の動向が見えてこないし、表現の自由をめぐる問題も一向に掘り下げられないまま、一種の妄想的恐怖小説へと縮減してしまった感はある。だが、この視野狭窄(きょうさく)の結果、次第に追い詰められていく心理的恐怖感は増幅した。

(岩波書店・1980円)

1951年生まれ。作家。『柔らかな頬』で直木賞。『残虐記』『OUT』など多数。

◆もう1冊

辺見庸著『青い花』(岩波現代文庫)。大震災と原発事故に触発された暗黒の近未来ディストピア小説。

中日新聞 東京新聞
2020年11月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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