博覧強記に裏打ちされた物語が抜群に面白い

レビュー

10
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恋するアダム

『恋するアダム』

著者
イアン・マキューアン [著]/村松 潔 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784105901714
発売日
2021/01/27
価格
2,750円(税込)

書籍情報:openBD

博覧強記に裏打ちされた物語が抜群に面白い

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 主人公はオンラインの株式と通貨市場での投機で生き延びている三十二歳の独身男チャーリー。アパートの上の階に住んでいる、十歳年下の研究者ミランダとの関係を進展させたいと思っている。そんな一九八二年、両親が遺してくれた家が思いがけないほどの大金で売れたものだから、発売されたばかりの限りなく本物に近い人造人間「アダム」を購入。彼を一緒に“育てる”ことで、ミランダとの仲を深められないかと考えたのだ。ところが、自由意志を持つことも可能なアダムまでがミランダに恋心を抱くようになり――。

『恋するアダム』をこう紹介すると、SFの枠組みを借りたロマンティックコメディかと思うかもしれないけれど、作者は現代イギリス文学を代表するイアン・マキューアン、事はそう単純には運ばないのである。

 まず、背景となっている八二年が曲者。イギリスはフォークランド紛争で大敗し、鉄の女サッチャーが退陣。十二年ぶりに再結成されたビートルズが新譜を発表。五四年に不審死を遂げたアラン・チューリングが生きていて、アダムのような完璧な人造人間の開発に重要な役割を果たしている。つまり、○○が××だったらこんな世界になっていたかもという思考実験を、作者は物語の背景となる設定で行っているのだ。

 しかも、人間の知性を軽々超えていくアダムの声を借りて人類と文明の未来像を展開し、チューリング自身に人工知能の仕組みと可能性を解説させる。そうした博覧強記の記述が知的好奇心をそそるばかりか、物語も抜群に面白い! チャーリーとミランダの関係やミランダが抱えている秘密をめぐっての展開が、嘘がつけず理想を曲げられないというアダムの特性によって思わぬ方向に転がっていき、読み始めたらやめられないほどのリーダビリティを備えているのだ。知とエンターテインメントがハイレベルで両立。巧い、巧すぎるにもほどがある小説だ。

新潮社 週刊新潮
2021年3月18日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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