山口恵以子×山中光茂×角川春樹 大ヒットシリーズや単行本の誕生の秘密とは。驚きのエピソードが明らかに!
対談・鼎談
『みんなのナポリタン 食堂のおばちゃん(9)』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
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『小説 しろひげ在宅診療所』
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山口恵以子、山中光茂の世界
[文] 角川春樹事務所
長年、食堂で働いていた体験から得たものを見事に昇華させて大ヒットとなっている山口恵以子さん「食堂のおばちゃん」シリーズの9巻目『みんなのナポリタン』が1月に刊行された。
そしてもう一方で、松阪市長やアフリカでの医療活動などを体験し、現在、在宅医として活躍中の山中光茂さんの初の小説となる単行本『小説 しろひげ在宅診療所』もこの月に刊行される。
作家おふたりの接点と作品成立の秘話が、角川春樹との鼎談で明らかにする。
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食堂のおばちゃんシリーズ誕生秘話と、山中光茂さんとの意外な関係
――『みんなのナポリタン』は発売初日に重版となるなど、「食堂のおばちゃん」シリーズは作目、累計万部を突破しました。山口さんの代表作といえる人気シリーズになりましたね。
山口恵以子(以下、山口) おかげさまで、私の作家人生を支える柱に育ってくれました。角川社長からお話をいただいたのは二〇一三年の十月。でもその時は、恐れ多くもお断りしてるんですよね。まだ食堂で働いていて、小説を書きながらではありましたが、私にとってこの二つはマンションの203号室と204号室みたいな関係で、挨拶くらいはするけれどもお互い独立しているという感じで。お引き受けしたら、食堂の仕事をしながら小説のことを考えたりとごっちゃになってしまうかもしれない。定年で辞めるまでは難しいだろうと思ったんですね。私、定年まで働くつもりでしたから(笑)。けれども、その舌の根も乾かぬ翌年の三月いっぱいで辞めることになりました。するとまた角川社長からご連絡をいただいて。
角川春樹(以下、角川) 山口さんにはぜひとも食堂小説を書いて欲しかった。そう思った時からタイトルも決めていた、『食堂のおばちゃん』に。
山口 小説を書くようになってかれこれ八年になりますが、タイトルをつけてもらったのはこれだけです。あまりにもベタすぎるのではと思いましたが、「君のことを知っている人はみんな、君が食堂のおばちゃんだって知ってるんだよ。そのアドバンテージを利用しない手はないだろう」って。ここまで続けてこられたのも角川社長の作戦勝ちですね。
角川 タイトルというのはものすごく重要なんです。だが、このシリーズの成功の要因はほかにもある。最初に話したとき、「この小説は“寅さん”なんですね」と山口さんは言った。人気の理由は食が前面に出てくるだけでなく、そこに人間ドラマがあることだ。店の常連客とゲストによって人情味豊かに描かれている。そのゲストの一人が訪問医の山下智、つまり山中君がモデルというわけだ(『うちのカレー』の第一話「うちのカレー」と、『みんなのナポリタン』の第五話「みんなのナポリタン」に登場)。
山中光茂(以下、山中) はい。ありがとうございます。光栄です(笑)。
角川 そもそも、二人の繋がりにはどういう背景があるんだ? 『しろひげ在宅診療所』を書くことになった理由とも関係しているんだろ?
山口 母の訪問診療をお願いしていたのが山中先生で、最期の看取りの時までお世話になりました。そうした介護の日々をエッセイととしてまとめることになり、出版にあたり二人で対談することになったんですが、もうびっくり! その時まで、先生はただのお医者さんだと思っていて。全国最年少(当時)で松阪市長を務めていたとか、キャバクラのスカウトだったとか……。
山中 私も過去のことはお話ししていませんでしたので(笑)
山口 それで思わず、担当編集者にこんな面白い先生がいるんだと話をしたら、とても興味を持ってくださったんですよ。
角川 なるほどなぁ。
山口 ここまで続けてこられたのも山中君がモデルだとは想像もしてなかったよ。
『小説 しろひげ在宅診療所』の誕生に至るまで
山中 実は僕も山口さんをモデルといいますか、参考にさせてもらった登場人物がいて、お名前までお借りしてしまいました(第二話「106歳の大往生と息子の葛藤」)。
山口 息子さんが高齢のお母さんを看取るという話の?
山中 はい。山口さんは懸命に介護に当たりながらも常に葛藤を抱えていましたよね、在宅でどこまでできるんだろうかと。でも、家で看取ると決めた時、その顔つきがガラッと変わった。それがとても印象に残っていたんです。
角川 あれは山口さんがモデルだったのか。でも市長時代やアフリカでのことを書いているとはいえ、今回は小説だ。小説として販売できるレベルにまで持っていくのが私の役割だと思った。
――初めての小説に対してどう取り組み、角川社長からはどんなアドバイスがあったのでしょう?
山中 まずは一回書き切ってみてくださいと言っていただきましたので、ただ思いのままに一気に書かせてもらいました。ですから当然、厳しいことを言われるだろうと覚悟していましたが、この部分をもっと書き足したらどうかといったご助言をいただくことが多くて、それが自分にとっては励みになりました。もちろん多くのご指摘もいただいたのですが、直接ご指導いただく機会もそうそうあるものではないので、聞き逃したらもったいないと思い、全身の感覚で受け止めるという感じでした。
角川 出来上がった『しろひげ在宅診療所』は、いわば、山中くんの自伝ですよ。だから、私は話したんだ。訪問医がタイムスリップするという設定で時代小説を書いてみないかと。つまりね、小説家山中光茂として成り立つまでやってみようかという気持ちにさせられているわけだ。
山中 恐れ多いです(笑)。でも、本当に丁寧にご指導いただきました。山口さんにも見ていただいてまして、添削のように書きこんでくださり、その中にはここは良いわよなどの温かい言葉もあって助けられました。
角川 どのへんだ?
山中 ケニアで医療支援などしていた頃の話ですね。
角川 初稿で入ってきたエピソードだな。うん、あれは光っていた(笑)。でも、あれを書けたことがこの小説の出発点になったと思う。その後書き加えられた元ヤクザの二宮の話もいい形になった。末期がんなのに悪態ばかりで病院を追い出された男だが、こういう人物を描くことが小説なんだよ。死期の迫った千里が家族とともに花見をするという話が出てくるけれど、それが生きるのも、この二宮の話があるからだ。
山中 今回書きたかったのが、いろんな環境の方がいるということでした。在宅診療というと恵まれた環境と支える家族がいて、初めて成り立つと思われる方もいますが、実際は一人暮らしでガンで、その上、認知症状まであることもある。でも、どれほど環境が整っていたとしても在宅なりの苦しみはあるし、二宮のようにたった一人で、何の救いもないように見えたとしても、幸せを感じる時はあります。
角川 人というのは一人ひとり違うから面白いんだ。この元ヤクザのところに中国人の風俗の女性が来るじゃない。この絡みはうまいなぁ。事実かどうかは別にして、小説としてうまいオチに持っていっているし、なかなかよく出来ているなと。
山中 小説に書いたように糞尿まみれの部屋に暮らす、相当な頑固ジジイでしたね。それでも少しずつ僕らに心を開いてくれた。小説のテーマにもさせてもらったのですが、医療って、人そのものを診ないとサポートできないんだと思っています。病院に行くと治すためにやれることは全部やりますと言われますが、その人の生活背景や価値観などを無視していることはすごくあります。在宅診療の良さは一人ひとりの思いに寄り添えることでしょう。
山口 私は自分の頭で考えられるうちに死にたいですね。できれば病院ではなく、先生に訪問診療していただきながら、小説を書いているうちにコトッとあの世に行ってしまうというのが理想です。
角川 そうありたいものだね。
山中 お二人のお看取りはさせていただきます(笑)。
角川 いつ死んでも悔いはない。であるならば何が大事か。今だよ。今を楽しむということだ。
様々な縁によって繋がる、作家と編集者の生き方
――「食堂のおばちゃん」シリーズに登場したことで周囲から反応などありましたか?
山中 昨日相談に来られた方がまさにそうなんです。以前からこのシリーズの大ファンだったことから『いつでも母と』も読まれて僕らのことを知ったそうですが、その方、なんと食堂で働いている、食堂のおばちゃんで。私たちと同じ目線で、普段感じていることがそのまま小説に現われているから大好きだとおっしゃっていました。
山口 嬉しい言葉ですね。このシリーズも長くなり、レギュラーの登場人物は親戚みたいになってきています。そこに核となるような石を放り込むと、波紋が広がるように話も多く、励みになっています。
角川 それが毎回面白いから、これだけ長く続いているのにまったく退屈しないんだね。
山口 ありがとうございます。こんな食堂が近くにあったらいいなと言ってもらえることも多く、励みになっています。
角川 そうなんだよ。はじめ食堂のように、定番の料理があり季節の食材も使い、そして新しいメニューも加わっていく、その時々の味が楽しめる店があれば間違いなく常連になる。コロナ禍の今はテイクアウトも多いけど、会社の昼時に食べに行く店を探していてね。選ぶ基準? ランチなんだから高いわけがない。本当においしい店というのは良心的な値段だ。あまりに高い店は信用できない。何しろ私は食べるプロと言われているんだよ。何度も本を書かないかと言われたが、すべて断っている。楽しめないから。楽しむためには絶対に書かないことだ。
山中 まさか社長からグルメ論が聞けるとは……。人間的な魅力にまた触れることができた気がします。僕にとって角川春樹という名前は数々の伝説とともに型破りな映画監督として刻まれていました。しかし、今回出会ったのは“編集者角川春樹 ”で、それは僕の知らない姿でした。ある対談で、作家を育てることへの思いを語られていましたよね。新しい人を見つけ出し、プロデュースしていきたい。だから、生涯編集者であり続けるんだと。とても感銘を受けましたし、今回ご指導いただけたことがどれほど幸運なことなのか、改めて実感しています。
山口 一貫していますよね。もてはやされているもの、権威あるものを引っ張ってきてなにかをするのではなくて、例えば『ある愛の詩』の翻訳を大ヒットさせたのは誰よりも早く着目したから。横溝正史さんもそうですよね。忘れられた作家になりつつあったところを面白いからと復刊して大ブームを起こした。
角川 私はね、これまでの仕事のほとんどは流されてきたものだと思っているんだ。「にんげんの生くる限りは流さるる」と俳句にも詠んでいるが、これは運命論の話でもある。宿命論ではなく。宿命というのは、命が宿ると書くように自分の存在を示す意志的なものであるのに対し、運命は運ばれてきてあるもの、流されるものだと考えている。だから、先が読めないし、着地点もわからない。だけども、一点だけ流されないものがある。それは一編集者としてまっとうしたいということだ。
山中 さまざまなご縁が繋がって今の自分があり、それが運命のように感じています。僕も随分と流されてきているということですね(笑)。
角川 それは悪いことじゃないんだ。流されるということは無駄な抵抗をせずに生きるということでもある。
山口 池波正太郎さんが大好きだった『商船テナシチー』という映画の宣伝文句を思い出しました。「運命は従うものを潮にのせ、抗うものを曳いて行く」。
角川 いい言葉だね。まったくその通りだ。
山中 どんな運命でも元に戻ることはできないわけで、であるなら、前に進むしかない。波に乗ってスタートするしかないんですね。
角川 だからさっきも言ったろう、今が大事なんだと。
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【著者紹介】
山口恵以子(やまぐち・えいこ)
東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。会社勤めをしながら松竹シナリオ研究所でドラマ脚本のプロット作成を手掛ける。2007年『邪剣始末』でデビュー。13年、丸の内新聞事業組合の社員食堂に勤務する傍ら執筆した『月下上海』で第20回松本清張賞を受賞。著書に「食堂のおばちゃん」「婚活食堂」シリーズ、『食堂メッシタ』『ライト・スタッフ』『工場のおばちゃん あしたの朝子』『小町殺し』などがある。
山中光茂(やまなか・みつしげ)
三重県松阪市生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒業。群馬大学医学部卒業、医師免許を取得。学生時代は、歌舞伎町で名物スカウトとして活躍。2004年からはケニアにおけるエイズ対策プロジェクトの立ち上げなどに関わる。2007年三重県議会議員選挙に立候補し、当選。2009年の松阪市長選挙に当選、当時全国最年少の市長となった。2期目の途中で政界引退。現在は、東京都江戸川区のしろひげ在宅診療所において、院長として「在宅医療」の普及に尽力している。