『百合中毒』
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母と娘の暮らしに亀裂を入れる 家を出た父の突然の帰宅
[レビュアー] 中江有里(女優・作家)
しょっぱなから不穏な空気が流れている。二十五年前に別の女と暮らすために家を出た父が戻ってきた。
父がいない家族はそれなりの安定を保ってきた。しかし突然の帰宅により世界は傾き始める。
誰もこの身勝手な父に同情するわけでもないのに、実際に追い出そうとする者はいない。母は園芸業の経営者として自立し、娘たちは家庭や仕事を持つ大人になった。
一方、父は年老いても中身は変わらず、いつのまにか家に居着く。ありえないようだが、白黒つけずにグレーのままでいられるのが、家族という集団なのかもしれない。
ユリ科の植物に猫が中毒する。ヘメロカリスという百合は特に毒性が強い。そのことを知らせずに売ったとクレームをつけてきた客が登場する。園芸一家はユリに毒があることを知らなかった。身近なものほど、うっかりその正体を見逃してしまう。
パートナーがそうだ。母は父の不実に振り回された。長女は見合い結婚の夫がなにか隠していることに気付いている。次女は不倫相手の上司の人でなしぶりを知っても離れられない。母の年下の恋人は、長年不在だった男の帰宅で、いきなり自分の居場所を奪われた。父の恋人だったイタリア人女性も帰国を機に、過去を清算せざるを得なくなる。
本書の登場人物はどこか毒されているようだ。人に毒を盛れば苦しみ、死に至ることもあるが、死なない程度の毒は、感覚を麻痺させてくれ、簡単な判断すら間違わせる。
この毒の正体を「愛」だとしよう。愛を求めるばかりに、他のものが見えなくなる。自分だけが手に入れていない、と思えば焦りが募る。
結婚や家族という具体的な形を得たとしても、愛の渇きはおさまらない。本物の愛と偽物の恋の見分けがつくほど人は達観しないまま朽ちていくのだろう。
実際に経験したくはないが、こんな甘美な毒を味わうのも面白い。