『どうやら僕の日常生活はまちがっている』
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岩井勇気×ジェーン・スー・対談「エッセイを書くことの“出口”って?」
[文] 新潮社
死なないと思って生きている
スー 「地球最後の日に食べたいもの」についてひたすら考える一編も印象的でした。
岩井 よくあるテーマですが、そういう状況になったらきっとメシなんて食えないだろう、という着眼点だと面白いなと思って書きました。
スー なるほど。だからあの意外な答えに行き着いたのですね。
岩井 そもそも僕は「死にたくない」ってずっと思っているんです。だから「明日で人類最後だよ」って言われた時点できっと何も手につかなくなって、メシのことなんて考えない。
スー 私も同じテーマで考えたことがあって、若い頃は質より種類で「バイキング」でしたが、いまは「鶏ゆずそば」かな。または、「ここぞとばかりにハメ外しちゃえ!」と、小麦粉アレルギーなのにうどんやピザが食べられるな~なんてことも考えました。でもそれで思ったのは、普段日常を生きている理由って、「翌日のために生きている」ってことなんですよね。「明日があるから早く寝る」のだし、最終的には棺桶に足をスッと入れるために生きていることになるわけで……。
岩井 僕だったら、アレルギーのあるものを食べて、もし明日が来たらやばいじゃん? めちゃくちゃ高いものを食べたけど、最後じゃなかったら単に贅沢しただけじゃん?って考えます。
スー 地球最後の日って言われても信じないタイプだ。
岩井 「オレは死なない」って思って生きているタイプです。というより、死なないって思っていないと生きていられなくないですか?
スー 逆説的!
岩井 明日死ぬなら、楽しいことをやったとしても、死んだら楽しいことも無になるから結局意味がないよね?というふうに考えちゃうんです。
スー そうすると、例えば自分だけ不老不死で生き続けてもいいですか?
岩井 全然構わなくて、周りが死んでいっても、その都度新しい友達を作れば寂しくないじゃんって思っています。
スー となると、地球最後の日には、明日もこれまでと同じように過ごせるように策を練る? どこかの小説じゃないけど、酸素を確保するべく、体に自転車のチューブを巻いてみたり。
岩井 0・1パーセントでも生き延びる可能性が上がるのなら、やると思います。
スー ひねくれているようで、そこは素直なんですね(笑)。