“忍び”たちはどのように織田信長に戦いを挑み、そしてどう敗れたのか――『焔ノ地 天正伊賀之乱』刊行記念エッセイ
エッセイ
『焔ノ地』
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■伊賀国(いがのくに) 『焔ノ地 天正伊賀之乱』著者新刊エッセイ 結城充考
[レビュアー] 結城充考(作家)
三月に上梓予定の拙作『焔ノ地(ほむらのち)』は、天正六年(一五七八年)と天正九年(一五八一年)に伊賀国で起こった“天正伊賀の乱”を題材としている。伊賀国人と織田家との激しい戦いの模様を描いた。
以前から、“忍び”たちがどのように織田信長に戦いを挑み、そしてどう敗れたかが気になっていた。今回、執筆に当たって“乱”を詳細に書いた軍記、『伊乱記』と『伊賀旧考』を通読することになった。いずれも菊岡如幻(きくおかによげん)―伊賀に住んだ江戸時代の国学者―の書物である。
読後、「日本史上の悲惨な局地戦」という“乱”の印象が相当変化した。なす術もなく織田軍に蹂躙(じゆうりん)されたはずの伊賀国は、天下人を向こうに回し、少なくとも意地を通すことには成功したのではないか、と。
『伊乱記』『伊賀旧考』は記録というより物語に近い。如幻はその中で、時流を読まず大敵に戦いを挑んだ伊賀国人を批判的にも記している。何かにつけ権威に逆らいたがる、というのだ。また同時に、武勇に優れた伊賀国人を生き生きと書き、そこには長年通説となっていた上忍下忍の関係や、厳しい掟に縛られた“忍び”は存在しない。恐れを知らぬ奔放な地侍たちの姿があるばかりだ。
“天正伊賀の乱”とは権力者側からの命名であり、改めるべきではないか、との意見も聞く。が、むしろ私には“乱”という一語の中に、「天下人に刃向かった小国の誇り」が漲(みなぎ)っているように感じられる。
伊賀は大軍を相手によく戦い、そして敗れた。
そこには何か意地を貫いた潔さらしきものが存在し、今回少しばかりは、その伊賀国の気風を『焔ノ地』に写すことができたのでは―と密かに自負している。
ご一読頂ければ、幸いです。(ウクライナの抗戦がポジティブな歴史として後世に残るよう、願っています)