『ソ連兵へ差し出された娘たち』
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ソ連兵へ差し出された娘たち 平井美帆著
[レビュアー] 吉田裕(一橋大名誉教授)
◆封印された性接待の実態
アジア・太平洋戦争末期に満州に侵攻したソ連軍は、各地で凄惨(せいさん)な性暴力事件を引き起こした。このことはよく知られている。しかし、それに日本側が加担していた事例があることを知っている人は少ない。本書は、岐阜県黒川村から入植した黒川開拓団の事例を中心にして、この加担の実態を克明に明らかにした労作である。
この開拓団では、ソ連軍兵士の性暴力を防止し、ソ連軍との間に良好な関係を作り上げるため、数え年十八歳以上の未婚の女性をソ連兵の「接待」のために「提供」していた。男性幹部による一方的な決定である。著者は「接待」の生々しい実態を、関係者の証言、特に被害者となった女性たちの証言から明らかにしていく。
ドキュメンタリーディレクターの小柳ちひろによれば、満州にいた日本軍の上層部の中に「接待」と同様の発想が存在していた。「接待」の背景には構造的な問題が横たわっていると言えるだろう。同時に著者は、被害者となった女性たちに寄り添うようにして、彼女たちの戦後の苦難の歩みをたどっていく。そこから浮かび上がってくるのは性暴力を隠蔽(いんぺい)し封印するような諸関係が、地域社会のごく身近なところに幾重にも張り巡らされている事実である。著者は封印に抗(あらが)い女性たちとの間に深い信頼関係を築き上げながら、女性たちの証言を一つ一つ引き出していく。
それにしても、この問題が可視化されるまでに要した時間の長さにあらためて驚かされる。日本軍の戦争犯罪に関して、多くの元兵士たちが語り始めるのは八〇年代に入ってからのことである。「接待」の問題に関しては、著者の地を這(は)うような取材活動によって被害者が本格的な証言を始め、それがマスコミでも取り上げられるようになるのは、二〇一〇年代に入ってからである。そのタイムラグにこの問題の闇の深さを見る思いがする。
開拓団の遺族会関係者を実名で出すことには異論もあるだろう。しかし、本書の終章からは、ためらいを振り切るようにして実名を選択した著者の決意が伝わってくる。
(集英社・1980円)
1971年生まれ。ノンフィクション作家。著書『中国残留孤児 70年の孤独』など。
◆もう1冊
小柳ちひろ著『女たちのシベリア抑留』(文芸春秋)