他者への叱責・処罰は麻薬に似ている パワハラ、児童虐待の裏に潜む「叱る側」が抱える心の病

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〈叱る依存〉がとまらない

『〈叱る依存〉がとまらない』

著者
村中 直人 [著]
出版社
紀伊國屋書店
ジャンル
哲学・宗教・心理学/心理(学)
ISBN
9784314011884
発売日
2022/02/04
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

〈叱る依存〉という現代病への最良の処方箋

[レビュアー] 松本俊彦(精神科医)


叱る側が抱える心の病(写真はイメージです)

パワハラ、DV、児童虐待、加熱するバッシング報道……さまざまな社会問題の裏にあるのは、人々の「処罰感情」の充足だった。刊行直後から大反響の『〈叱る依存〉がとまらない』に、精神科医の松本俊彦さんが寄せた書評を紹介する。

 ***

 痛快だった。「そうだ、そうだ。その通りだ」と膝を打ちながら読んだ。それと同時に、遠い昔の記憶が刺激された。

 思い出したのは、今から四〇年も昔、中学時代の話だ。あるとき屈強な体格の体育教師が赴任した。毎朝、彼は教室を睥睨(へいげい)し、棒で激しく教壇を叩きながら、「俺は『棒』力教師だ!」と笑えない冗談を口走っては、私たちを凍りつかせた。さながらジャージを着た鬼軍曹だった。

 きまって彼は、雷のような怒声をあげて、日替わりで生徒を教壇の前に召し出すと、衆人環視のなかでビンタをした。理由は何でもよかった。授業態度が悪い、遅刻をした、あるいは、服装が乱れている……とにかく誰かひとりを生け贄(にえ)にすれば、教室は一瞬で静まりかえるのだ。

 まもなくその教師は「指導力がある」と称賛されるようになった。そして、彼を見倣ってか、教師のあいだで異例のビンタ・ブームが到来した。文弱な男性教師や、若い新卒女性教師までもが、校内の至るところでビンタ、ビンタ、ビンタだった。

 だが、長続きはしなかった。あたりまえだ。ビンタを乱用すれば、その効力はたちまち減衰する。やがて生徒たちは痛みに慣れ、ビンタに恥辱感を覚えなくなった。それどころか、わざわざビンタされるようなことをする生徒まで出始めた。すでに「ビンタ被害者友の会」が生徒内の一大勢力にまで膨れ上がっていた。だから、ビンタ被害は、自分が「あちら側の人間」ではないことを仲間に示し、絆を深める好機だった。もはやビンタは罰としての機能を失っていた。

 教師たちは憔悴しきっていた。「殴ってもわからない奴はもっと強く殴るしかない」といわんばかりにビンタをエスカレートさせてはみたものの、期待する効果が得られない。それなのにビンタをやめることができないのだ。教師たちには、無意味と知りつつ半泣きで心臓マッサージを続ける熱血研修医のような悲壮感が漂うようになった。

 あれこそが〈叱る依存〉だったのだ――本書を読んで合点がいった。確かに他者への叱責・処罰は麻薬に似ている。痛みと恐怖で瞬時に人を支配し、その人を「善き方向」へと導く正義の味方になれるのだ。達成感と自己効力感で脳の報酬系回路は大いに興奮するだろう。クセにならないはずがない。

 処罰による快感を味わうには、必ずしも自ら手を下す必要はない。誰かが処罰されるのを遠巻きに眺め、ときおり外野から野次を飛ばすだけでも、それなりの快感は得られる。だからこそ、芸能人の薬物事件や不倫騒動が起こると、人々は、出演者の厳しい断罪コメントを聴聞きたくて、ワイドショーにチャンネルを合わせる。それでも欲求不満が解消されなければ、SNSで処罰感情を発散させ、失態をおかした芸能人を火だるまにして屠(ほふ)るのだ。時に自殺者さえ出す、この残酷な衆愚行為を、著者は「現代版コロッセオ」と表現しているが、まったくその通りだと思う。

 この病は、社会の至るところに蔓延している。たとえば、本来、悩み苦しむ人を助けるべき医療現場とて例外ではない。第6章で著者は人工妊娠中絶薬の導入に反対する産婦人科医の処罰感情に言及していたが、同じことは、筆者が専門とする依存症医療にもある。「この患者は痛い目に遭っていわゆる『底つき体験』をしないと、本気で酒をやめない」などと、百パーセントの善意から治療を拒む医師がいたりするのだ。依存症を専門とする者でも、自らの〈叱る依存〉には気づけないものらしい。

 人の中枢神経系は順応性に富んでいる。だからこそ、叱責は乱用されれば、たちまち効果が薄れ、同じ効果を得るためにはエスカレートさせなければ追いつかなくなるのだ。やがて叱る側は、いくら叱っても気持ちが晴れず、それどころか、欲求不満による苛立ちが増すのを自覚するだろう。運がよければ気づくかもしれない――叱っていたのは相手のためではなかった、と。

 ところで、中学時代の話には後日譚がある。ある日、格闘技の覚えがある生徒が、鬼軍曹のビンタを躱(かわ)し、鋭いパンチで反撃したのだ。予期せぬ反撃に虚を突かれた鬼軍曹は、完全にノックアウトされた。これを境に生徒たちの不満が爆発し、教師・生徒間の力関係は逆転した。校内の至るところで、生徒による教師への暴力が頻発し、学校は連日パトカー騒ぎだった。もちろん、校内暴力は一部の生徒によるものだったが、他の生徒たちはそれを止めようともせず、ただ傍観するだけだった。おそらく生徒の多くは、脅えたように声をうわずらせて、「ぼ、暴力はやめたまえ」と訴える教師たちの姿に、処罰感情が満たされる快感を体験していたのだろう。

 結局、暴力は暴力しか生み出さない。だが、人は弱い。たとえ頭でそうと理解していても、無力感や不安感に苛まれると、手っとり早い解消法に手が伸びる。それが、処罰という麻薬に耽溺する最初のきっかけとなるのだ。

 もしも「自分はそんな人間にはなりたくない」と願うのならば、まずは本書を読むとよい。〈叱る依存〉は、わが国に蔓延する現代病であり、本書はそれに対する最良の処方箋といえるだろう。

紀伊國屋書店 scripta
no.63 spring 2022 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

紀伊國屋書店

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