「過去の作品に比べて、圧倒的な自由が宿っている」――新進気鋭のライターが熱く論考した、沢木耕太郎のノンフィクション『天路の旅人』の新たな到達点とは

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天路の旅人

『天路の旅人』

著者
沢木 耕太郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103275237
発売日
2022/10/27
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

《胡桃の殻》を割るということ――沢木耕太郎『天路の旅人』を読む

[レビュアー] 石戸諭(記者・ノンフィクションライター)

3

 西川は、旅における自由の極点を知った旅人として描かれる。沢木はそんな彼に対し、畏敬と憧憬を込めて描く。特に本書の後半において、日本の敗戦を知り「密偵」から「無国籍の旅人」へと立場を変え、さしあたり自分が生きて行くことだけを考えていく西川は、無限の自由を得ていく。「密偵」には国家という後ろ盾がある。相手を騙し続け、本当の自分が明らかになってしまう怖れと不安を常に抱えている。だが、一度任務が解かれてしまったあと、どう生きるかは個々人が自分の信念に則って決めていかねばならない。

 敗戦への深い喪失感があったにせよ、「無国籍の旅人」を選んだ西川は、並々ならぬ意欲で言葉を覚え、巡礼僧としても相手になんの違和を抱かせることなく、一人でも旅をすることができた。

 ある集落でこんなことがあった。

「その一軒の家の庭先に立ち、でんでん太鼓を叩き、鈴を鳴らしながら御詠歌をうたいはじめると、出てきた老女が盆のようなものを差し出した。

 それを見て、西川は驚いた。そこには、米と大豆と塩と漬物がのせられていたからだ。これを煮炊きすれば、そのまま一回分の食事になる。

 ――なんという慈悲深い喜捨だろう……」

 托鉢において、喜捨の大小は重要ではないのだという。大事なのは一日分の食べ物を確保し、多くを得ようとしないことだ。なぜなら多すぎれば荷物になってしまい、前に歩くことが困難になるからだ。インド・ダルマサールを出て、バルランプルの駅に向かう道中、ゴパールと名乗る青年に呼び止められる。何度も頼まれたので、彼の家で一泊することになった。ところが、集落の人たちが集まってきて、ある者はチベットや蒙古の話を聞きたいといい、ある者はこちらで食事をしろといった具合に集落をあげての歓待が続いた。彼がインドの言葉を使えるというのは大きな要因だったと見ることもできるが、言葉さえできれば歓待を受けられるわけでもない。そこで西川はこう考えるのだ。

「――いまの自分は、綺麗に欲がなくなっている。何をしたいとか、何を得たいとか、何を食べたいとかいったような欲望から解放されている。一日分の食糧があれば、どこで寝ようがかまわないと思っている。水の流れに漂っている一枚の葉と同じように、ただ眼の前の道を歩いている。その欲のなさが、人の好意を誘うのかもしれない……」

 26歳の時、たった一人で日本から飛び出してユーラシア大陸を横断し、『深夜特急』へと昇華する旅を経験した沢木にとって、西川の到達した境地は旅人にとっても一つの理想だったのだろう。それを示唆する箇所がある。

 蒙古名「ダワ・サンボー」として、西川とともに任務にあたった木村肥佐生――西川は彼の「密告」によって帰国したと思っているのだが……――は、戦後、在日アメリカ大使館でインテリジェンスとして働いた後、亜細亜大学で教授職を得た。西川は木村のことを多くは語らなかったが、沢木に対してたった一言「彼はひとりでは旅のできない人でした」と語っている。西川からすれば木村への本質的な批判という意味はあっただろうが、沢木は自分がどちらの生き方が好きかを直接的に語ることはしないし、ジャッジを下すようなこともしない。

 ここで「ひとり」が、極めて重要な言葉になっていることは指摘しておいていいだろう。西川の旅は同伴者がいることもあったが、最終的に彼はひとりになっても生きていける術を身につけていた。旅は人に本当に大切なものだけを教えてくれる。普段の生活で必要だと思っていた欲を、削ぎ落としに削ぎ落としたとき、そこに残っていたのは未知の土地であっても、ひとりで生きていけるという自信だった。国にも頼らず、誰の伝手を辿るわけでもない。旅人として国境を越えて、祈りを捧げ、一日分の食べ物があればそれで構わないという確固たる自信がある。西川が辿っていた人生の本質をミニマムな自信にあると見切った瞬間に、戦前の日本を密かに背負った「密偵」の物語は、稀有な旅人の物語に転化する。

4

「無国籍の旅人」としての西川が発した一言、一言は沢木にとっての「理想の旅」を提示する言葉でもあったと同時に、秘境から大陸へとつながる旅を通じて、沢木は「方法」という地図を頼りに、たったひとりでノンフィクションの世界でできることを広げてきた人生を重ね合わせたものでもあったと思うのだ。

 盛岡で誰に頼まれるわけでもなく、生活のために元日を除く364日、淡々と同じことを持続していた普通の人生を、自信に満ちた人間が送っている。胡桃の殻を割った、その先に国家を頼らずとも生きていけることを証明した人間がいる。この驚きをフックに沢木は練り上げた文章で描き尽くした。

 その文章には微妙な変化が生じているように見える。もう少し踏み込めば、沢木は自分の人生の中にも「胡桃の殻のような堅牢さ」を見出した、と見ることもできるのだ。小説かノンフィクションかを問わず、ひとつの物語を完結させてからしばらくすると、また次へと向かう。合間、合間に取材や旅に出ることはあっても、すべての終着点は、たったひとりで書くことにある。

 沢木はノンフィクションとフィクションの差を、「一本の河」に例える。ノンフィクションを小説のように描くことによって自由を獲得した沢木は、いよいよノンフィクションとフィクションの間を自由に行き来できる泳法を習得したのかもしれない。そう確信したのは、『天路の旅人』を発表した直後から連載が始まった最新作の小説『暦のしずく』の序章を読んだ時だ。私は思わず「あっ」と声を上げてしまった。いずれ時代小説を書くという話は沢木からそれとなく聞いていた。白状しておけば、その時、私はそのいずれはいつくるのだろうかと思っていた。本作のように沢木作品は構想から発表まで、少なくない時間がかかっているからだ。それが……。

 驚かされたのはその書き出しである。いきなり「私」が登場し、江戸時代の講釈師馬場文耕について調べた結果を著述するのだ。近代講談の祖と言われながらも多くの史料が残っていない人物だが、彼は街のうわさを語るだけでなく、自ら取材したことを読み物に仕立てていた。それも、たったひとりで。「私」は馬場をフリーランスのルポライターの祖でもあると思うようになる。それだけではない。彼は書いた記事を理由に、国家によって死刑に処せられた書き手でもあったのだ。

 そんな人物を主人公に据えた「小説」を、沢木はノンフィクションの文体を使って書き始めた。小説のようにノンフィクションを描くのとは真逆に、まさかノンフィクションの方法を携えて小説と銘打った作品を描きはじめるとは……。そういえば以前、沢木にインタヴューをしたとき、彼はふっと笑いながら、私に向かってこう言ったことを思い出した。

「きっと2~3年後に『えっこんなことをやるのか』と驚かせるような話をやることになると思うよ」

 私が『天路の旅人』を読み終え、『暦のしずく』の序章に驚いたのは、このインタヴューからちょうど3年後のことであるのに気がついた。方法の旅はまったく終わっていなかったのだ。もっとも、彼が「驚かせる」と言った作品がどちらの作品なのか、両方であったのか、あるいはどれでもないのか。それは定かではないのだが……。

新潮社 新潮
2022年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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